猪苗代町「磐梯山」山開き登山 2023年 春
私選“只見線百山”の検証登山。今日は、JR只見線の列車の中からもその山容が見える名峰「磐梯山」(1,816.2m)に、山開きに合わせて登った。
“只見線百山”は筆者が私的に選んだ、“観光鉄道「山の只見線」”の乗客増や沿線振興等を意図したアクティビティーのコンテンツ。只見線沿線2市6町1村(昭和村含む)の「会津百名山」「新潟百名山」を中心に、只見線に縁のある153の山々を候補とした。
「磐梯山」は猪苗代町、磐梯町、北塩原村にまたがる三等三角点峰で、気象庁が常時観測を行っている活火山。“磐梯”とは“天に掛かる岩の梯子”、「磐梯山」はかつて“いわはしやま”と呼ばれ、古くから山岳信仰の対象となってきたという。*参考:猪苗代町「磐梯山憲章」/ 気象庁 火山-東北地方の活火山-磐梯山
「磐梯山」は只見線沿線自治体にある山ではないが、
①会津地方を代表する山
②只見線の列車内から見える、容姿が特徴的な山
③只見線の列車を撮影すると、写り込む山
という3つの理由から“只見線百山”の候補に入れた。
①について、〽会津磐梯山は宝の山よ、と民謡「会津磐梯山」に歌われ福島県内外に広く知られていて、さらに日本百名山ということもあり「磐梯山」は会津の顔ともいうべき山だ。
②と③については、只見線の会津平野(盆地)内の多くの区間や駅で見え、また撮る事ができる。
「磐梯山」は、当然ながら「会津百名山」に挙げられ(第18座)、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。
磐梯山 <ばんだいさん> 1819メートル
会津のシンボルである磐梯山は、猪苗代湖、裏磐梯と三点セットのような観光地の一角をなしており、土、日曜日や夏休みともなると一般登山客はもちろん小学校、中学校などの団体が続き大変な賑わいを見せ、すれ違うのに大変である。[登山難易度:中級]
*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p122
また、「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の耶麻郡の項で「磐梯山」は、絵図入りで詳細に記されている。
○磐梯山
猪苗代城下の西北にあり、三峯並峙つ積翠空に挿み一郡の偉觀なり、中峯尤高し、西を小磐梯といひ、東を赤埴山といひ、叉見禰山と稱す、高三百六丈周十五里絶頂に磐梯明神とて石の叢祠あり (磐梯明神も古は此山上に鎭座ありと云其社跡なるも知べからず本寺村惠日寺司なり) 常に登山の者なけれ共、毎年六月十五日には祭ありて參詣多し、半腹より上は路極て峻しく木を攀るに非れば登るべからず、頂に至れば東は相馬岩城の海邊より、北は出羽國月山湯殿山まで遠く煙靄の中に浮動し、眺望數郡の外に及ぶ、かゝる高山なれば山嵐常に烈く、草木地に蟠り五六月の頃まで殘雪消盡きず、竹樹これにをされて根屈す、 (俗此を磐梯竹と云 雪深き山に産する竹皆しかり、) 山上に石楠花多し、又一種の百合あり ひとへのあかき花をつけ、上に向て開く、莖葉短縮愛玩すべし、東の半腹に沼九あり、周各三十間計、小磐梯の西に温泉湧出、味甘酸頭痛積聚眼疾諸蟲によしと云、硫礬石を産す側に湯泉神社あり、(何れの項にか鹽川組落合村鈴木金四郎と云者草創すと云府下北小路町大久保播磨假に是を司る) 四郡第一の名山なれば、古より會津山と稱し、古人の詠あり
後撰集 藤原滋幹女 友則のむすめのみちの國へまかりけるにつかはしける
君をのみ市のふの里へゆくものを會津の山のはるけきやなそ
千五百番歌合 法橋顯照
ほくしかけ鹿に會津の山なれは いるにかひあるさつら成けり
古今六帳 讀人不知
杖折してゆかましものを會津山入よりまとふ道としりせは
堀河百首 藤原仲寶
會津山すその野の原にともしすとほくしにひをそかけ明しつる
*上図出処:新編會津風土記 巻之四十八「陸奥國耶蔴郡之一」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p283-285 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179202/1/148) *一部、筆者にてボカシ加工
「磐梯山」の登山ルートは6つ(猪苗代町:3、磐梯町:2、北塩原村:1)あり、うち3箇所がスキー場のゲレンデを通る。*下図出処:磐梯山周辺観光推進連絡協議会「磐梯山登山マップ」(裏磐梯観光協会 URL: https://www.urabandai-inf.com/wp-content/uploads/file/pamphlet/bandaisan_tozan_map.pdf)
先日25日に、地元紙・福島民報には「磐梯山開き」のフルカラーの全面広告が出ていて、上掲図と同じ登山ルートや携帯電話の電波状況などが掲載されていた。*下掲新聞紙面:福島民報 2023年5月25日付け 14面全面広告
この6つのコースの中でJRの駅の最寄りにあるのが、猪苗代登山口ルートと翁島登山口ルート。今回は猪苗代登山口から登ることにした。
今日の旅程は以下の通り。
・郡山駅から磐越西線の始発列車に乗車
・猪苗代駅で下車し、タクシーか徒歩で土津(はにつ)神社に向かう
・土津神社の拝殿と奥之院に参拝後、登山口に向かう
・猪苗代登山口から「磐梯山」山頂に向かって登山開始
・「磐梯山」山頂から裏磐梯登山口に向かって下山
・裏磐梯高原駅(バス停)から猪苗代駅に移動
・猪苗代駅から磐越西線の列車に乗って会津若松駅に移動
・若松駅前バスターミナルから路線バスに乗って新鶴駅前に移動
・新鶴駅から只見線の列車に乗り、車窓から「磐梯山」を眺める
・会津若松駅から磐越西線の列車に乗り換え帰途に就く
天気予報は下り坂で、気象庁では終日曇りで一部で雨という予報を出していた。天候は心配だったが、『「磐梯山」が雲に隠れていませんように』と祈り、猪苗代町に向かった
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)- / -只見線の春-
今朝、磐越西線の始発列車に乗るために、自宅から郡山駅に向かった。上空には、薄ねずみ色の雲が広がっていた。
駅舎に入り、切符を購入。自動改札を通り、1番線に停車中の列車に乗った。車内には登山者と思われる服装の方が数名見られた。
5:55、会津若松行きの列車が郡山を出発。
沼上トンネルを抜けて猪苗代町に入り、川桁を出発すると前方に「磐梯山」の全体が見え、ホッとした。
今回の山行は只見線と関連したもので、登山道や山頂から只見線が通る会津平野の様子が見えなければ意味がないと考え、猪苗代駅に着いた時点で「磐梯山」が雲に隠れて見えなかったら延期するつもだった。だが、この距離からも山肌のスキー場も見え、上空は均一な曇り空だったので、登頂するまでは天候は持つだろうと考え予定通り登ることにした。
6:37、猪苗代に到着。列車からは、6名の登山者が降りた。
周辺の建物が低いことから、ホームや駅頭から「磐梯山」の独特な山容が見えた。
駅前には、一台のタクシーが停まっていたが予約車のようで、運転手が表に出て登山者と思われる方を待ち、そして車内に案内していた。他、タクシーが来る様子もないことから、歩くことにした。
町道猪苗代新町線を北に向かって進む。左側(西)は田んぼが広がっていたため、「磐梯山」を見ながら歩き進むことができた。猪苗代登山口がある、山肌のスキー場(左)の麓の建物群もはっきり見えた。
7:10、土津神社に到着。2度目の訪問になる。
早朝の、人影のない森の中の神社ということで、ここで熊鈴を身に着けた。
土津堤を渡り、鳥居をくぐって境内に入った。土津神社は、徳川2代将軍・秀忠のご落胤として不遇の幼少期を過ごしながら、3代・家光の後見人として幕藩体制確立に大きな影響を与え、会津藩(松平家
)の礎を築いた初代藩主・保科正之 公が祀られている。*参考:会津若松観光ビューロー「会津の歴史」保科・松平家時代(江戸時代) URL: https://www.tsurugajo.com/history/hoshina.html
石段を上り、拝殿で参拝。登山の安全と世の中の平穏を祈願した。
参拝後は、拝殿右側から山の方に延びる参道に入り、保科正之 公の墓所となる奥の院に向かった。入口には、“熊注意!”の黄色い看板が立てられていた。
町道を挟み約400mの参道は石畳になっていて、両脇は刈払いされ整備されていた。
拝殿から5分ほどで、土津神社奥の院に到着。門の前に立ち、正之 公が眠る小高い墓所に向かって首を垂れた。
奥の院から町道土町見弥山線に出て、突き当りを左折。幅広の町道伯父ヶ倉スキー場線を進むと、大沢橋を渡った。空には青空も見え、陽が差し影を落とした。予想外の好天に嬉しくなった。
橋上から北に目を向けると、「磐梯山」の山頂が見えた。
南に目を向けると、猪苗代町の市街地と田園、猪苗代湖の東端が見え、意外と登ってきたのだと思った。国土地理院地図を見ると、猪苗代駅付近が標高520mでここが同680mで、150m以上の標高差だった。
大沢橋を渡り切ると、前方に建物が見えた。猪苗代スキー場麓の建物群だった。
最初の路地を右に曲がり、坂を上ってゆくと、スキー場ゲレンデの前に多くの人がいた。山開き登山の関係者(町職員、救護・救助員)のようだった。
7:35、「磐梯山」猪苗代登山口に到着。猪苗代駅から、土津神社を経由して約50分掛かった。「磐梯山」山頂は鮮明に見え、天気はもつのではないかと思った。
猪苗代町の職員から、山開き登山の記念品である三角フラッグなどが入った袋を受け取った。
山開きの式典は、すぐそばにある町のふるさと交流センターで行われているとのことで、その建物の中には紅白幕が張られているのが窓越しに分かった。
7:47、式典が終わりぞろぞろと建物から人が出てくるのを横目に、「磐梯山」登山を開始。ゲレンデ直登と思ったが、他登山者と同じく砂利道を進んだ。
砂利道は、西ゲレンデの中央に延びていた。
途中、振り返ると、猪苗代町の市街地を取り囲む、水が張られた田園や猪苗代湖が見えた。
砂利道は西に曲がり、木々の間の葉山コースになった。
葉山コースのヘアピンカーブを抜け東進すると、前方が開け磐梯山テラスが見えた。
磐梯山テラスの北は聖火リレーゲレンデになり、その先には「磐梯山」山頂が見えた。
ゲレンデには登山者の姿があり、ジグザクに登る人、直登する人が点々としていた。
ゲレンデを登りきる手前で振り返ると、水田の先に猪苗代湖が見えた。ここ猪苗代スキー場が、国内屈指の眺望を誇ると言われることに納得した。*参考:猪苗代スキー場「ゲレンデのご案内」 URL: https://www.inawashiro-ski.com/gelande/
8:27、ゲレンデを登り終え、平坦な作業道に出た。道端では猪苗代湖を眺めながら休憩をとる方々の姿があった。
この作業道を進むと登山道の入口があり、休むことなく歩き進んだ。ここが登山道の一合目のようだった。
ちなみに、「磐梯山」山頂は五合目となっている。一般的な、山頂=十合目ではない。この理由は、①(山岳信仰の)富士山山頂(3,776m)を十合目とし、「磐梯山」は約半分の標高だから、②過去の大噴火で半分以上が吹き飛んでしまったから、など諸説あるという。
登山道の序盤は灌木の間の切り込みや切通しで頭上は開け、柔らかい土の上だったので歩き易かった。
8:34、平場になり、前方が開けた。「天の庭」に到着。
案内木標が立っている付近で、灌木越しに麓の景色が見えた。
「天の庭」から先、登山道は森の中に延び、周辺に岩が点在していた。噴火で飛び散った岩だと思った。
しばらく歩くと、大岩があり頭上が開け、「磐梯山」山頂が見えた。
開けた空間は続いたが、点在する岩は多く、大きくなった。
8:45、西南側が開け、岩の上に立ってみると、会津盆地の東から南の端が見えた。全体的に霞み、会津若松駅や只見線は確認できなかったが、ここが「磐梯山」猪苗代登山ルートから只見線が初めて見られるポイントだと分かった。
また、北西には、均整の取れた「磐梯山」山頂が見えた。後で気づくのだが、この山容は“表磐梯”で、この後大半が木々に覆われた山肌を見ることはなかった。
8:48、登山道が再び木々い覆われた区間を進むと、「赤埴山」に向かう道との分岐に到着した。
分岐を右に曲がり、「赤埴山」を目指した。登山道は木々に覆われ、前後に登山者の姿が見られないため、熊鈴を鳴らしながら進んだ。
途中、南西に開けた場所で麓を眺めると、猪苗代湖の西に連なる「背炙山」の風力発電用の風車と、その後ろには、「大戸岳」と「小野岳」が見えた。
この後、登山道は赤みを帯びた軽石のザレ場が続き、何度も足を滑らせた。そして、緩やかな斜面の広いザレ場に出た。
ここで振り返ると、猪苗代湖から会津盆地の会津若松市街地までが見渡せる眺望を得られた。
9:02、さらに緩やかな斜面を登り、「赤埴山」山頂に到着。「磐梯山」が見えたが、半分が木々に覆われた“表磐梯”で、半分が岩が剥き出しになった“裏磐梯”という山容だった。
「赤埴山」山頂からの眺め。猪苗代湖と会津若松市街地の間、磐梯町を中心に眺望が開けていた。
写真を数枚撮って、「赤埴山」から下山。前方にはこの先通る「沼ノ平」と、「磐梯山」と「櫛ヶ岳」の鞍部が見えた。
5分とかからず、分岐を示す案内木標が見えて、「磐梯山」登山道に戻った。
この合流点から先は、踏み跡が平坦で、歩き易い登山道だった。登山というより、トレッキングの感覚になった。
9:16、低木や笹に覆われた鏡ヶ池の脇を通り抜け、「沼ノ平」に入った。前方には容姿を180度変えた“裏”「磐梯山」が見えた。
“沼ノ平”というだけあり、登山道の両脇には大小の沼(池)が見られた。
木橋も2箇所架かり、それらの沼(池)に水の流入があるようだった。
「沼ノ平」区間は、登山ということを忘れてしまうほど平坦で開けていたため、歩くのが気持ち良かった。
登山道の脇には、花が見られた。
タチツボスミレ(立坪菫)。
ヤマハタザオ(山旗竿)。
ミヤマツツジ(深山躑躅)。
「赤埴山」登山道合流点から約1,400m、渋谷登山口への分岐を過ぎてまもなく、登山道の傾斜が増し、硬く大きな岩が足元を悪くし始めた。足元に気を付けながら、上方に見える「磐梯山」ー「櫛ヶ峰」鞍部を目指した。
数組のパーティーに道を譲っていただき、黙々と登ってゆくと、「磐梯山」ー「櫛ヶ峰」鞍部が近付いた。左の「磐梯山」山頂に目を向けると、斜面をジグザクに登る登山者の姿が見られた。
そして、振り返って「沼ノ平」を眺めた。未だ登山途上だったが、ゲレンデ登坂と「沼ノ平」トレッキングができる猪苗代ルートは、楽しい登山道だと思った。
9:36、前方が開けた。「磐梯山」ー「櫛ヶ峰」鞍部に着いたようだった。
登りきると、「磐梯山」山頂と川上登山口との分岐を示す行き先案内木標がたっていた。
ここで、山頂には向かわず、川上登山口方面に進んだ。
分岐から100mほど進むと、前方が大きく開け、「櫛ヶ峰」(1,636m)とそこに続く踏み跡が見えた。
川上登山口と「櫛ヶ峰」山頂への分岐となる、1,457m標高点付近には多くの登山者が居た。*「櫛ヶ峰」山頂方面にはロープが張られていた。現在は登山ができないようだった。
登山道を外れ、砂面の斜面を少し登ると、圧巻の光景が飛び込んできた。1888(明治21)年の大噴火の痕跡と言われる、“裏磐梯”を象徴する火口壁の迫力に唖然とし、しばらく見入った。*参考:磐梯山ジオパーク「D-23.銅沼 / D-24.爆裂火口壁」 URL: https://www.bandaisan-geo.com/geosite/area_d/d-23_24/
正面には、銅沼(あかぬま)や桧原湖など、明治21年大噴火で形成されたと言われる湖沼群が見えた。*参考:磐梯山ジオパーク「B.裏磐梯湖沼群エリア」 URL: https://www.bandaisan-geo.com/geosite/area_b/
火山壁の荒々しい剥き出しの山肌と、緑豊かな裏磐梯の景色のコントラストは、自然と時間への畏怖を高めるものだった。
そして、“裏磐梯”の「磐梯山」の山容は、この山が活火山であることを十分に納得させてくれるものだった。
*上図出処:気象庁「磐梯山の噴火警報レベル」(令和3年12月改定版) URL: https://www.data.jma.go.jp/vois/data/tokyo/STOCK/level/PDF/level_215.pdf
9:45、分岐に戻り、「磐梯山」山頂に向かって登山を再開した。
この分岐付近は三合目のようで、道端には石標に刻印された「三合目天狗岩」があった。奥に見える黒く突き出た岩が「天狗岩」という。
登山道をジグザグに進むと、“緑の斜面”に出た。
斜面の所々に、ミヤマキンバイ(深山金梅)が見られた。
そして、斜面の中腹に「黄金清水」があった。ペットボトルの水が無くなっていたため給水。冷えた軽めの水で、旨かった。
斜面を抜けると、登山道は尾根筋に向かって急坂になった。
9:56、尾根筋に乗ると、裏磐梯と八方台登山口への分岐を示す案内木標が立っていた。
この後「磐梯山」山頂に向かって、すこし緩やかになった斜面を登った。登山道両脇の灌木の中に、タカネザクラ(⾼嶺桜)が咲いていた。
登山道が岩がゴツゴツした急坂になり、登り進むと人の声がして、見上げると人影があった。
10:00、「弘法清水」に到着。多くの登山者が休憩していた。
ここでは、猪苗代町・磐梯町・北塩原村のそれぞれの“自治体花”と磐梯山の絵図がプリントされた官製はがきが配られていた。今日限定で開設された“青空郵便局”の赤ポストも置かれ、多くの方々がペンを走らせていた。
「弘法清水」には2つの山小屋があった。あずき色の外装が印象的な弘法清水小屋。
そして、白壁の岡部小屋(弘法清水)。
肝心の「弘法清水」は、この岡部小屋の目の前にあった。清水が流れ落ちる塩ビ管の上には、“四合目 弘法清水”と記された石標が置かれていた。
10:06、小休止した「弘法清水」を出て、登山を再開。案内木標を後ろは、急坂になっていた。
標識には“磐梯山山頂 0.5km”としていたので、「弘法清水」(1,630m)から山頂(1,816m)まで500mかけて標高差186mを登ることになる。
急坂は続いた。丸太組の階段は地形に合わせて設えられているため不均等で、大半に大石があったこともあり、難儀した。『磐梯山は弘法清水からが本格的な登山』と学んだ。
10分と登らず振り返ると、「弘法清水」で休憩する登山者が小さく見え、一気に高度が上がった事を実感した。
途中、「沼ノ平」に切れ落ちる斜面の直上を通った。木杭とロープが張られていたため、安心して歩くことができた。
登山道が西に大きく迂回する場所では、桧原湖を中心に裏磐梯エリアが見渡せた。
この後、登山道は猪苗代町と磐梯町の境界を小さく蛇行しながら延びていた。
「弘法清水」出発直後の急坂からは幾分傾斜が緩くなったが、その急坂で一気に体力を使ったためか、息を切らしながら進む事になった。
「弘法清水」から18分で分岐になり、急坂の左側に進むと、徐々に上空がひらけ、先を行く登山者から『もうすぐだぁ~』というつぶやきが聞こえた。
そして、周辺がひらけ、前方には小高いガレ場が見えた。その頂に向かって歩き進んだ。
10:26、「磐梯山」山頂に到着。猪苗代登山口から2時間39分で登頂することができた。
山頂には、磐梯明神の祠が祀られていて、手を合わせる登山者もいた。私も拝礼した。
ガレ場の頂には、三角点が置かれていた。
三等三角点石標に触れ、登頂を祝った。
石標の前には、金属プレートが取り付けられ、次のように記されていた。
三等三角点「磐梯」
磐梯山山頂の三等三角点「磐梯」は明治37年
(1904年)月に設置されましたが、長年の風雨の浸食
等により、三角点が亡失したため、「磐梯山三角点
復旧支援会(代表:猪苗代山岳会)」の協力を得て、
三角点の再設置を行いました。
平成22年(2010年)10月
国土交通省国土地理院
山頂からの眺望。
猪苗代湖に正対する南側は、水田が湖をより大きく見せ、迫力があった。この田植え間もない水田の水面に、快晴の青空や夕暮れが映り込んだなら、さぞ美しいだろうと思った。
南西には、会津若松市の市街地がある会津平野(盆地)の南半分が見渡せた。晴れていれば、只見線の会津若松~塔寺区間が確認できる眺望だった。
北には、桧原湖の存在が際立つ裏磐梯の広大な森林。
そして、東には「櫛ヶ峰」越しに、「安達太良山」や「東吾妻山」などの山並みが見えた。
カメラをパノラマ撮影にしてみた。
南から西へ。
西側全景。
北から東へ。
10:48、「磐梯山」山頂に20分ほど滞在し、下山を開始した。山頂のガレ場直下にある岡部小屋(山頂)の前を通過。山頂を吹き抜ける強い風の影響を避けるため、地面を掘り下げて立てられているようで、小屋の中のスタッフの立ち姿も見られた。
下山を始めてまもなく、裏磐梯の景色を眺めながら進んだ。
「弘法清水」までの登山道は渋滞し、何度も立ち止まり、登山者を先に通した。山開き登山とは言え、老若男女幅広い世代の多くの登山者を見ると、「磐梯山」は会津のみならず福島県を代表する山である事を実感した。
11:08、「弘法清水」に下りた。登山者の数は増えているように見えた。
ここからの下山は別ルートで、「弘法清水」に背を向けて裏磐梯・八方台口ルートに入り、しばらく、緩やかな下り基調の道を進んだ。
猪苗代町から磐梯町に入り、「弘法清水」から5分ほどで分岐に到着。
案内木標を見て、「お花畑」を見るのを忘れていることに気づき、右に進んだ。
5分とかからず「お花畑」に到着。
“お花畑”に期待したが、ミヤマキンバイ(深山金梅)だけが目立っていた。
分岐に戻り、下山を進めた。
分岐からしばらくは、岩がゴツゴツした道が続いたが、徐々に岩はほとんど無くなった。時折、根が剥き出しの場所があり、つまずかぬよう越えた。
途中、2つの浅い鞍部があり、登り区間は少し息が切れた。
11:44、前方に壊れた案内木標が見えた。国土地理院地図を見ると、この手前で磐梯町から北塩原村に入ったようだった。
ここは斜面の上に突き出ていて、展望所になっていた。手前に裏磐梯登山口のある裏磐梯スキー場のゲレンデがあり、桧原湖だけでなく小野川湖の湖面も見えた。
ここから先、登山道は下りの急坂が続いた。大きな岩もあり、登りはやっかいな区間だと感じた。
11:58、急坂を下り終え、平坦な道になった。
そして、100mほど進むと分岐見えた。
八方台登山口と裏磐梯登山口との分岐を示す案内木標が立っていて、右に曲がった。裏磐梯登山口まで4.6km、ということで国道459号線までの距離を示していた。
登山道は、変わらず歩き易いと思ったら、階段状の下り急坂で水溜まりや泥の悪路となった。
「中ノ湯」から硫黄の香りの運んでくる沢に近づくと一旦足場は安定したが、まもなく涸れ沢の悪路となった。*参考:「磐梯山ジオパーク」D-30.中の湯 URL: https://www.bandaisan-geo.com/geosite/area_d/d-30/
“悪路”区間を越えると、急坂が続いたが、しっかりとした階段が設えられていたため安心して下ることができた。
急坂を過ぎると、四角に成形された石が並んでいた。
この後、登山道は緩やかな下り基調になった。歩き易かったが、この辺りになるとすれ違う登山者がおらず、両側は平坦な場所に広がる茂みだったので熊鈴を鳴らしながら進んだ。
また、このルート上には頻繁に、古く所々破損した管が見られた。「中ノ湯」から麓に湯を引いていた温泉水路のようだった。
熊鈴を鳴らしながら黙々と歩いて行くと、前方に「櫛ヶ峰」が見えた。
また、少し進むと、登山道の脇に登山者数計測の赤外線カウンターが置かれていた。パネルには環境省裏磐梯自然保護管事務所と表示されていた。
そして、このカウンターを過ぎてまもなく、前方が大きく開け案内板が立っていた。
12:23、「磐梯山」ー「櫛ヶ峰」鞍部から見下ろした「銅沼」に到着。ここには2人いて、カメラを構えていた。
沼の縁に行くと、「櫛ヶ峰」を中心に荒々しい火口壁を水面に映し込む「銅沼」が見渡せた。早緑の瑞々しさと火口壁とのコントラストも秀逸で、見惚れてしまう眺めだった。*参考:北塩原村 裏磐梯観光協会「銅沼」
「磐梯山」-「櫛ヶ峰」鞍部に向けてカメラをズームにすると、火口壁の端に立ってこちらを見下ろしている登山者を確認した。
「銅沼」を後にして下山を再開。ほぼ平坦な歩き易い道が続いた。
まもなく、“磐梯高原駅3.7km”と記された標杭が現れた。磐梯高原駅は、この先私が利用することになるバス停「裏磐梯高原駅」だと思われた。
この標杭の前には、緑に包まれた湿原(沼?)があった。
「銅沼」から400mほど歩くと、前方の光量が増し、大きく開けた。
12:33、裏磐梯スキー場のゲレンデ最上部に到着。ここから、登山道はゲレンデの東端に向かい、斜面の斜めに横断する砂利道に合流した。
ゲレンデを下り、途中振り返って「磐梯山」方面に目を向けた。火口壁の上部と「櫛ヶ峰」の山頂が見えた。
ゲレンデ下降を終え、まもなく前方に2台の車と通行止めのチェーンが見えた。
12:49、「磐梯山」裏磐梯(スキー場)登山口に到着。山頂からほぼ2時間で下る事ができた。
この登山口の駐車場は、ここから300mほど東にあり、GoogleMap®ではその付近を“裏磐梯登山口”としている。
裏磐梯(スキー場)登山口から先は、国道459号線まで砂利道が続いた。
周囲は新緑に包まれ、途中、裏磐梯湖沼群の一部も見えたため、トレッキング感覚で歩き進むことができた。
裏磐梯(スキー場)登山口から20分ほどで、国道459号線に入り右折。北東に向かって歩き続けた。
途中。右(南)に目を向けると「磐梯山」山頂と火口壁が見えた。表磐梯と裏磐梯、それぞれの山容の違いに「磐梯山」の魅力や奥深さを実感した山行になったと思った。
13:11、バス停「裏磐梯高原駅」に到着。JR猪苗代駅行きのバスが停車し、私も列の最後尾に並んで乗り込んだ。予定時間より早く下山できたため、1本前のバスに乗る事ができた。
「磐梯山」登山を無事に終えた。山頂などから只見線の路盤が目視できなかったのは残念だったが、麓や周囲の景色を見ながら列車の車窓から何度も見てきた「磐梯山」に登頂できたのは良かった。
「磐梯山」は登山道が良く整備され登り易い山で、山の裏表の外観や、山頂からの得られる眺望から“只見線百山”に入れるべきだ、と今回の検証登山を終えて思った。
推奨されるルートについて。
今回は、以下のルートと所要時間だった。
・登山:猪苗代登山口~「磐梯山」山頂 2時間39分
・下山:「磐梯山」~裏磐梯登山口~裏磐梯高原駅(バス停) 2時間23分
“観光鉄道「山の只見線」”という事を考えれば、猪苗代湖を囲む山々と会津平野の南半分を囲む山々が見られる猪苗代口ルートと、広大な森林を見られる裏磐梯口ルートの組み合わせがベターだが、裏磐梯口ルートを中ノ湯経由ではなく、裏磐梯スキー場から川上口ルートに合流し火口壁を登る区間の経由とすれば「磐梯山」の特徴が分かりベストではないかと思った。
「磐梯山」は沿線外の山だったが、今回の登山で“観光鉄道「山の只見線」”には欠かせないコンテンツで、“只見線百山”の代表的な山になる事を実感した。只見線の列車に乗って、車窓から見える「磐梯山」を気になった方に、是非登って欲しいとも思った。
「磐梯山」登山の後は、只見線の列車に乗って、車窓から「磐梯山」を眺めることにした。
磐越西線・猪苗代駅前に到着した路線バスから降り、駅舎に入り切符を購入してホームに向かった。そして、まもなくやってきた会津若松行きの列車に乗った。
列車が猪苗代を出てまもなく、車窓から“表”の「磐梯山」の山容全体がはっきりと見えた。登頂を終えた山をゆったりとした気分で列車から眺められるのは良いと思った。
列車が会津若松に到着すると、改札には向かわず、只見線を利用する際に渡る連絡橋に上がり、橋上から「磐梯山」を眺めた。今日は午後から雨模様で厚い雲に覆われる事を覚悟していただけに、まだ「磐梯山」が見え幸運だった。
連絡橋を後にして、改札に向かうと袴姿の「ぽぽべぇ」が出迎えてくれた。
駅前で遅い昼食を摂った後、渡辺宗太郎商店で日本酒のワンカップを購入し、会津バスの若松駅前バスターミナルに向かい只見線の新鶴駅前を経由する路線バスに乗った。
若松駅前バスターミナルから50分ほどで、新鶴駅前(会津美里町)に到着。
新鶴駅は50mほど先あった。駅舎の外壁に掛けられた時計は壊れているようで、10時10分で止まったままだった。
新鶴駅から只見線の列車に乗ることにしたのは、「磐梯山」を見られる時間が新鶴~会津若松間は長く、そして駅前に桜肉(馬肉)の名店「肉の丸長本店」がある、という理由からだった。さっそく、「肉の丸長本店」に向かった。
「肉の丸長本店」は“只見線沿線で最も駅チカにある桜肉の店”で、列車内から店裏に掲げられた大きな看板が見える。この店は食堂も併設しているので、途中下車し利用できる。*参考:拙著「会津美里町「肉の丸長本店」2020年 冬」(2020年1月25日)
「肉の丸長本店」では、ヒレとモモの馬刺しをg単位や予算に応じて買え、今回はモモを1000円分購入した。
「肉の丸長本店」での買い物を終え、ホームで列車を待っていると、キハE120形2両編成がやってきた。
16:55、ワンマン列車のため唯一の入口となる1両目後部ドアから乗り込むと、会津若松行きの列車は定刻から3分ほど遅れ新鶴を出た。
列車内は前後車両に15名前後が乗っていて、私が席を確保した後部車両は各Box席に1人以上が座っているという状況だった。
列車が水田の間を進むようになると、左の車窓(東側)に「磐梯山」が見え始めた。頂上付近が雲に覆われていたが、それとわかる山容が見え、天気がもってくれたことを感謝した。
「磐梯山」が見え、一息ついてから「肉の丸長本店」で買った馬刺しをいただいた。用意した地酒は、会津若松駅前の渡部宗太郎商店で入手した「天明」(会津坂下町 曙酒造)の 純米生貯ワンカップ。
今回、「肉の丸長本店」で『只見線の中で食べます』と伝えると、包装を経木からトレーに変えてくれ、醤油も付けてくれた。*注:辛子味噌は標準で付属
サシ(白い脂身)が入っていない、赤身の“会津馬刺”を「天明」に合わせていただいた。桜肉特有の弾力と風味は秀逸で、淡泊ながら辛子味噌と一緒に噛むと満足感が得られた。「天明」との相性も良く「磐梯山」登山の疲れが癒された。
列車は、大川(阿賀川)を渡り会津若松市に入った。北東に見えた「磐梯山」は、やはり山頂のわずかな部分が雲に覆われていた。
17:27、会津若松に到着。列車が遅れたため、連絡する磐越西線・郡山行きに乗り換えると思われる降車客が駆け足で連絡橋に向かっていた。私も急ぎ1番線に向かい、その列車に乗り込み帰路に就いた。
私選“只見線百山”登山で、今日初めて所在が只見線沿線ではない「磐梯山」に登ったが、車窓から見慣れ、会津を語る上で欠かせない山ということで、違和感はなかった。
次に、只見線沿線自治体にない“只見線百山”の検証登山は、先にはなるが、「飯豊山」(喜多方市、阿賀町(新潟県)、小国町(山形県))になるだろうと考えている。*参考:福島県観光物産交流協会「ふくしま30座」飯豊山
「飯豊山」を含む飯豊連峰は、会津平野区間(会津若松~会津坂下)を中心に、只見線の乗客や、列車を撮る方に風景の重厚感を与え、“観光鉄道「山の只見線」”の骨格ともいえる山だ。
この山は2日がかりの山行になるので、会津平野を取り囲む他の“只見線百山”の候補などの低山で登山スキルを高め、挑みたいと考えている。
(了)
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*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
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福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金
・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。