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偉人『ジョルジュ・ビゼーが日本にもたらしたもの』

2024.09.13 00:00

9歳でパリ音楽院に特別入学を許可され音楽的才能を多くの教授から認められた天才音楽家ジョルジュ・ビゼーは、19世紀フランスを代表する音楽家である。しかしその才能溢れるビゼーは36歳という若さで人生の幕を下ろした。彼の作曲した組曲『美しきパースの娘』より『セレナード』に海野洋司氏の哀愁漂う作詞で『小さな木の実』と名付けられた曲は、一躍日本全国で人気を博し小学校音楽教科書に掲載され、やがてその曲を歌唱した大庭照子氏によってスクールコンサートが行われるようになった。日本人に馴染み深い曲は実はジョルジュ・ビゼーによる美しい組曲であった。

原曲の『美しきパースの娘よりセレナード』を耳にしてもヨーロッパの美しい秋を連想してしまうが、これは子供の頃に歌った『小さな木の実』の影響なのだ。本来ビゼーの作曲したこのオペラは若き男女の恋物語でビゼーの特徴である美しい旋律がここかしこに散りばめられている。その一部楽曲を捉えて哀愁漂う切なくも胸に響き、悲しくも愛おしく思う気持ちに駆られるのは日本人特有の解釈に至った歌詞の賜物である。

さて前置きはそれくらいにしてビゼーについて語ろうではないか。

オペラの作曲家として大成することを望んだビゼーであったが志半ばで生涯を終え、最後に書き上げた『アルルの女』は今も演奏される彼の代表作品である。生き急ぎ過ぎた夭折音楽家ビゼーは音楽が諦めきれず理髪師から声楽家に転向した父と音楽家一家で育った母の才能を受け継ぎ、フランスの最高峰の音楽院であるパリ音楽院に特例入学を許された人物である。特に特質していた能力が難解作品を聞き分けてしまう聴覚的才能である。その能力の高さにパリ音楽院の教授たちは絶賛し10歳以上の入学条件を覆してまでも9歳の少年ビゼーを入学させたのである。胎児の聴覚の特徴を考えると音楽的英才教育をお腹にいる頃から受けていると言っても良いであろう。そして彼は3歳になる頃から母の手解きにより文字を読むこと楽譜を読むことを徹底して教育されたのである。と書くとスパルタ教育のように思えるがそうではない。愛情の証がある中で子供の最大の能力を伸ばそうとする両親の行動が才能溢れる能力を開花させたと言えるだろう。そうでなければ彼の作品は美しい旋律あふれる繊細な作品にはなっていなかったであろう。

時に子供の能力を伸ばそうと必死になるあまり小さな子供を追い込むことがある。子供が親の先導を快く受けている時には何の心配もない。しかし子供自身が楽しそうにしていない或いは嫌なのに嫌だといえない環境で向き合っている場合には、あえてその環境を提供しないという選択を取ることがある。時間の流れが早い現代においては先々に進もうとするあまり取り組みに目がいき、お子さんの状態を過剰評価し本来の姿が見えていないと感じることもある。教室の意図するところは余裕を持って楽しく実践を積み重ねて様々なことを進めることにある。ところがペーパーだけの学習に目を向けて急ぎ過ぎると必ずどこかの地点で子供が息切れをするものだ。どうしても先取りをしたいというのであればペパーの比重は2割にし残り8割を様々手法をとり手を動かし頭を使い会話を楽しみ実践すべきである。また親の言いなりになる子供ではなく、自分の言葉で私に考えを述べる子供の方の伸び代が長く柔軟に学び能力を伸ばしている。その後伸びを育むのが親のすべきことである。ペーパー学習をさせるのは親にとっては大変楽な方法である。がしかし子供達の目が輝くのはモノを扱っている時であり会話を楽しんでいる時である。子供の本能に従い本物の力を身につけさせるためには親が楽な方法ではなく、子供が喜ぶ本能に従った環境設定を取り入れることに尽きる。つまり主人公は誰かということである。

この点に至ればジョルジュ・ビゼーの両親のように子供自身が自由に自分の本能に従ってことを成し遂げることができるサポートとは何かを考えるべきであろう。急がば回れ、今すべきことの土台を堅牢なものにして初めて前進することができると信じ、焦らず急がずである。急いては事を仕損じるこの言葉は子育てにおいてはかなり重要な確信をつくものである。

最後に来週月曜日の提案記事『誕生日の本当の意味を伝える』につながる話をしてこの記事を締めることとする。

ジョルジュ・ビゼーの原曲『美しきパースの娘』を聴けば美しい旋律が多用され美しい表情を持つ曲であるが、そこに海野氏の抒情歌的歌詞が日本人特有の琴線に触れ子供達の心に彩を添えていると言えるだろう。作詞を依頼された海野氏は父を早く亡くし、長男を授かったばかりだということで息子のために書いた詩を推敲してこの作品ができあがったそうだ。亡き父を思う側面と息子を思う父の立場で書いた命を繋ぐ作品である。

ジョルジュ・ビゼーが日本にもたらしたものは曲の美しさのみならず、海野氏の歌詞を通して命を受けつ継ぐこと、そして子供や両親を思うこと、生きる喜びを味わうこと、感謝を述べることに今一度立ち戻ることではないだろうか。

この秋にもう一度歌詞の意味を確認して噛み締めたいものである。