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偉人『数学者ラマヌジャン』

2023.05.26 00:00

今回は日曜日から数についてのテーマでブログ記事を書いているため偉人はやはり数学者にしようと考えていた。世界三大数学者のアルキメデス、ニュートン、ガウスか、はたまたピタゴラスかと考えていたのだが、記憶の欠片に近いところに位置していたラマヌジャンにしてみようと閃いたのだ。それは子育てをしている親御さんにとっても興味深い人物であるからである。おそらく彼の名前を初めて耳にするという方もおられるであろうが、彼は数学的教育をほとんど受けずに数学者に上り詰めた人物であり、かなり直感的に数学を捉えた人物でもある。子育てをしているのであれば是非知っておくに越したことはないと考える。


1887年世界的数学者ガウスの誕生から100年後に誕生したのがインド人の数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンである。厳しい階級制度のあるバラモン階級のヒンドゥー教徒の家に生まれ、母親から徹底したヒンドゥー教の宗教教育を受け育つ。しかし学校での成績は数学以外は芳しく無く、13歳で専門の数学教科書を読み、15歳でイギリスの数学者ジョージ・カーの著した『純粋数学要覧』を手にしたきっかけで数学の没頭していく。

16歳で奨学金を得て大学入学するも数学以外には関心も興味も持てず、数学に没頭したため落第しよく年も同じ落第点で奨学金の剥奪で退学を余儀無くされた。それでも独学で数学を学び自分自身が発見した定理をノートに記しまた別の教授のところに行くも環境を変えられず、ある官僚との出会いで港湾事務所の公務員として働き、上司の理解あっては仕事と数学を両立できる環境を持つことができた。しかしその様子を見ていた周りからその能力を活かすように促されイギリスの数学者に手紙を送るも黙殺されてしまう。しかしその中に数学者ゴットフレイ・ハロルド・ハーディーがおり、彼に召喚される形でイギリスで数学の研究に打ち込む事になった。

ハロルド・ハーディはラマヌジャンのことを世界三大数学者のアルキメデス、ニュートン、ガウスに匹敵する才能の持ち主であると称している。初めは彼の狂人的な発言として捉えていた手紙の内容をに記されている定理を見て驚愕する。その内容はもう数学界では定説になっている定理に混じって、ハーディが最近証明したばかりの内容がありそれはまだどこにも発表していないハーディにしか分からないものや先人の数学者が解き明かせなかった内容も記されていたのである。

しかし数学的専門的教育を一切受けていないラマヌジャンはその定理の証明をすることができなかったのである。そこで証明はラマヌジャンに変わりハーディーが変わりに行うという二人で三脚でタッグを組んでいく事になった。


直感タイプのラマヌジャンは毎朝新しい定理を6つ発見するほどの天才であり、無限に続く円周率を直感で唱えることができたという。30時間数学の研究に時間を費やしたかと思えば20時間眠り続けるという身体を酷使するような状況で過ごし、また宗教的に菜食主義者であったため第一次世界大戦の始まりで野菜が手に入らなくなるという状況下で体調を崩しがちになり病を患った。志なかばで祖国に帰るしか手立ては無くインドに帰国後32歳という若さで亡くなってしまった。彼を主人公にした映画『奇跡が暮れた数式』にはその当時の時代背景も描かれているため干渉してみるのも悪くないと思う。


さてここからは世界的数学者の一人として注目を浴びたラマヌジャンがなぜ天才になり得たのかを勝手に想像してみる。数学に対してズブの素人の意見であるから狂人じみたことを記しているなと鼻で笑い飛ばしながら読んでいただきたい。

世界的天才と言われる偉人の中にはメモ書きをしている人物は数多い。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ニュートン、エジソン、アインシュタイン、ナイチンゲール、ナポレオン、ゲーテ、パスカル、ベートーヴェンなど少し考えただけで彼らの名を挙げることができる。

ラマヌジャンも先出の偉人たちと同様に幼い頃からガリバンで数学の定理を書き連ねていた中からこれはというものを貴重な紙に記していたという。当時のインドはイギリス植民地でありながらもやはり紙が高価なものとして扱われた時代である。毎朝6定理を発見するほどの直感的タイプの彼がなぜ次から次へと新しい定理を発見できたのか、その理由を尋ねても本人も分からずヒンドゥー教の神によるものだと答えていたという。

彼の32年という短い人生の中で3500余りの定理の発見の理由について今週月曜の子育てサジェスチョン提案『数の種蒔きとカウンティング』にも関係してくる話なので時間があればその記事も戯言として読んで欲しいと思うのだが、凡人と偉人と言われる人との大きな違いの大きな理由の1つがこのメモ書きであるアウトプットに関係していると感じている。

メモ魔で知られている万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチは自然の中のものを事細かに描写し、閃いたことをなんでもメモした人物である。そのメモを見返しながら点と点だったものを一つにまとめる力はある種アウトプットしたもの同士を更に結びつけ形にしたものである。またベートーヴェンは耳が不自由になった後も頭の中に浮かびくる旋律をスコアーに書き綴った。ナイチンゲールは看護という大きな目標を掲げながら現実の難題を記しその克服のために多くのジャンルを学び実行にあたった人物である。ラマヌジャンもまた難しい数学本を読んで記録し学習方法を身につける方法で数学を楽しみ、そして学び取ったもの、閃いたものを全てノートに記し数学を極めた。多くの偉人はインプットに勤しんだ後は多くの時間や労働をアウトプットにかけているのである。


では子供たちはどのようにインプットとアウトプットを行うのかを考えてみよう。

子供達のインプットはまず聴覚から始まる。母親の声を覚え、嗅覚で母の香りを知り、母乳で母の味を知り、母の温もりを肌で感じ、やがて視覚で母の顔や家族を認識していく。いわゆる五感でのインプットを乳児の頃から進めているのである。よって感覚統合の重要性は一目瞭然である。

成長していくうちに様々なものを見聞きし理解し覚えていくのであるから0歳から1歳にかけては感覚統合を経験としてどのくらい授けられるかによって脳の働きに差が生まれてきてしまうのである。先日2歳に手が届くか否かの年齢の子供がものの名前も知らず、言葉の遅滞も見られ、実体験の数も少なく、手先の取り組みも進んでおらず衝撃的だった。これはもう親御さんに目を覚ましてもらうしかないのであるが、まずは平均値に行けるように努めるしかないであろう。インプットをしないとアウトプットなどできない事例であるからそもそもという話ではあるのだが・・・そうならないためにもしっかりと子供と向き合う時間を持って最低限のインプットに努めてほしいと考えている。その上でアウトプットとなるのだ。

子供達のアウトプットは指差しや指示行動で意図することを理解できているかを見ることから始まるが、やがて言葉を扱えるようになると言葉をもって理解したこと学んだことをアウトプットするようになる。そうなれば鸚鵡返しもできるようになるためどんどん新しい言葉をインプットとしながらアウトプットが同時にできるようになるのである。その機を逃さず楽しんでいかれると物事を理解する機会に恵まれ習得することが多くなるのである。

その鸚鵡返しと並行して絵本をたくさん見せながらインプットとアウトプットを繰り返す事により知りたいということがどんどん増えてくる。子供発信のこの貪欲なまでの関心や好奇心を育て、発言や行動を介してアウトプットに繋げてほしい。さすれば凡人よりも少し先をゆく優秀な人材に一歩近づく道を歩くことができる。

その先はメモをとり書くこと、人に教えるというコツを掴んでいくまたは発信していくことで能力は飛躍的に成長と発達を遂げるようになる。この詳細についてはまたの機会にすることとするがラマヌジャンはそこを最大限に鍛えた人物ではなかったかと考えている。