2018春 ハワイ4日目 ハワイ・プランテーション・ビレッジ vol2
ALOHA!
今回は写真でご紹介する「ハワイ・プランテーション・ビレッジ」です。
タイムトンネルを抜けた先には100年前のハワイ。サトウキビ畑で働く移民の人たちが暮らす場所です。
▲ 1日の予定は細かく決められていました。まさに陽がのぼったら起きて(ハワイと言えども、4時じゃまだ暗いですね)、めいっぱい働いて、陽が沈んだら寝る。そんな生活を繰り返していたのですね。
【日本人の家】
▲ ハワイで暮らしているからこそ、神様や仏様が支えだったのかもしれません。
▲ 家族の洋服を作ったり、内職をしたり、ミシンは必需品だったようです。
▲ 日本でももう見ることのなくなった5つ玉のそろばん。何を計算していたのでしょうか。
▲ 畳敷きでなくても、室内では草履や下駄を脱ぐのは日本人だからですね。
▲ 聖書に賛美歌、そして硯と墨。心の拠り所を求めてクリスチャンになる人もいたようです。
▲ 子どものいる家庭だったのでしょうか。剣玉が置いてありました。
▲ 家族風呂。ここで洗濯もします。
▲ すり鉢にすりこぎ。お釜。日本にいたときと同じようにお米を炊いてゴマをすっていました。
【いろいろな施設】
▲ 大衆浴場(1930〜)※ 説明はプランテーションビレッジのファイルから抜粋しました
大衆浴場は日本人キャンプではごく普通にありました。風呂に入るのはもちろんのこと、皆の社交場としてすべての共同体に設けられましたが、デザインもレイアウトもまちまちでした。
▲ わかみやいなり神社(1914〜)
▲ 土俵(1930〜)※ 説明はプランテーションビレッジのファイルから抜粋しました
日本人移民たちは、カラカウア王が1885年2月にホノルル湾にある移民待合所を訪れたとき相撲の試合を披露しました。この活気と伝統はプランテーションの日本人によって継続されました。
▲ プランテーションの店(1900〜)※ 説明はプランテーションビレッジのファイルから抜粋しました
この店は、プランテーション家族のためのすべてのものそして日々の生活用品を売っていた「雑貨屋」でした。
▲ 診療所(1915〜)※ 説明はプランテーションビレッジのファイルから抜粋しました
プランテーションの医療スタッフは、健康問題例えば種痘、栄養教育、妊婦の世話だけでなく、緊急手当や日常の病気を扱っていました。畑や工場での仕事を休むためには、プランテーションの医者の許可が必要でした。
▲散髪屋(1930年代〜)※ 説明はプランテーションビレッジのファイルから抜粋しました
散髪屋はプランテーション共同体の中で最初の職業でした。散髪屋は25世帯以上のそれぞれのプランテーションキャンプで見られ、日本人はこの職業に多く就いていました。
以上、日本人移民の家や施設をご紹介しました。1軒1軒の家、施設をのぞいていると、なんだかそこに住んでいる人の息づかいが聞こえてくるようでした。
私たちがこの場所を訪れたとき、実は誰にもすれ違うこともありませんでした。ハワイに住んでいる友人たちのなかにも、知らない、行ったことがないと言っている人もいました。なんだかもったいない。
レンタカーがないとワイキキからだとちょっと行きづらい場所にありますが、もしハワイの歴史に興味があったら、ぜひ行ってみてください。「ハワイ・プランテーション・ビレッジ」のHPにTHE BUSを利用したアクセス方法のわかりやすい説明がありました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。