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Dr.Mami

空海があまりにも悲しくて詠んだ唄。人間の誕生の愛しみと活動的怠惰とは?

2018.06.16 03:40

(広島 尾道)

  

哀しい哉(かな) 哀しい哉(かな)     
哀れが中の哀れなり     

悲しい哉 悲しい哉     
悲しみが中の悲しみなり     

哀しい哉 哀しい哉 復(また)哀しい哉     

悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉     

“亡弟子智泉が為の達嚫(たっしん)の文”


昨晩はインドで出会った

香川の方と再開してお食事してて

最近溢れる想いはいろいろあれども

うまくまとまらずに悶々としててねー


って話をしてたら

この空海の言葉を教えてもらった。

(香川では地元ヒーローだからね!)


四国の八十八ヶ所巡りとか

弘法大師という名でも知られ

真言宗の開祖でもあるあの空海。

(なかなか関節が柔らかいね)


その空海でさえ、

最愛なる弟子の智泉が

37歳の若さで亡くなった際に

この唄を詠んだ。


哀しくて、哀しくて、もっと哀しくて、

悲しくて、悲しくて、さらに悲しくて、

感情が高ぶり、抑えきれないほど

どうしようもない思いが溢れてくる。


そして、

その後に空海は続けた。


悟りを開けば 
この世の悲しみ 驚き  
すべて迷いの生み出す  
幻に過ぎないことはわかっています  

それでも 
あなたとの別れには  
涙を流さずにはいられません


それでも

悲しいんだよね。


それが人間なんだよね。


こころを持って

そして

感じることができるからね。


空海でさえ

こんなに悲しいのに


悲しみを感じることを

なぜ人は、

そんなにも問題視、

時には敵視さえ

するようになったんだろね?



人間の誕生は悲しみの誕生である。 
長く生きれば生きるほど、人間は愚かになる。 
避けられないしを避けようとする思いがますます強くなる。 
常に手の届かないものを求めて生きるとは、
なんという苦しみであることか。 
明日を生きることへの渇望が、
今日を生きる力を奪うのである。(荘子)



なんでそもそも、

人間の本質である悲しみを

否定し、受け入れずして、

生きていこうとするんだろうね?



病気の人は可哀想なのか?

死んでゆく人は哀れなのか?

残された人は不幸なのか?



 釈迦が説いた

人間誰もが避けられない4つの苦しみ


生きる苦しみ  

老いる苦しみ  

病む苦しみ  

死ぬ苦しみ 


この 苦しみとは、

迷いでもあり、

悲しみでもあるね。


必死で生きる人ほど、 

真面目に生きようとする人ほど、

苦しみ、悲しみを感じるかもしれない。


だから
普通に生きてたら
プチ鬱になるわね。


それほど一生懸命に

「しっかりと」生きてるんだよ。


そのために生まれてきたんだもん。


そうやって生きることを

これでもかって

じっくり味わうために。


だけど

この悲しみを感じないようにして

なんとか解消したり

なんとか逃れようとしたり

なんとか大したことないことにしたり

なんとか他のことで麻痺させたり


この悲しみから逃れるための力で

ずっと幸せを、喜びを探し続ける

永遠にループするみたいな

終わりのないゲームみたいな

そこで果敢に挑み続けないといけないような

そんな世界に生きることもできるね。


その力は結構

すごい威力を発揮する。


それをチベットでは


活動的怠惰


って呼ぶんだって。

魂的には

それって怠けてるんだと。


頑張って頑張って

なんとか生産的に効率的に

成功、達成、実現を

追い求めること。


感じるべき湧き上がった感情を

感じないがために

本当に向かい合うべく問題を避け

文字通り「忙しく」してる状態。


あぁ、

聞き覚えがあるね、

ずっとずっと

わたし自身

そうだった時もあるね。

それはそのときは

そうするしかないと

思い込んでたからね。



真の幸せとは?


真の豊かさとは?


真の喜びとは?



この現代の輪廻は
不安と憂鬱から力を得、
そのなかでわたしたちを育てしつけている。
わたしたちをつねに飢えさせておくことによって
成り立っている消費社会という手段を用いて
細心の注意を払いながら、
わたしたちを養っている。
輪廻は高度に組織化され、
柔軟で、洗練されている。
その宣伝はあらゆる角度から
わたしたちめがけて降り注ぎ、
私達の周囲にほとんど突き崩す頃のできない
耽溺(タンデキ)の世界を作り上げている。
その罠は非常に巧妙に仕掛けられていて、
そこから逃れようとすればするほど
深みにはまっていくようだ。

(中略)

偽りの希望、偽りの夢、偽りの志は
幸せを約束するが、
行き着く先は悲嘆である。
ソギャル・リンポチェ(チベットの生と死の書)



その悲嘆。


どうせ死ぬしね、

どうせ失うしね、

どうせ壊れるしね、

そんな現実への悲嘆を

否応なく認めざるをえない現実をね


じっくり味わい尽くしていくと

不思議なことが起こることがわかったよ。


その真っ暗闇の

ドロドロとした苦しみの中には

すっきりとして清らかで

心地よい安寧たる空間が広がっている。


ささやかな日々の出来事が
こんなにも美しく幸せで
そして輝いていたのかと
感動さえ覚えるようになる。

(尾道からサイクリング〜♪)

こんな風にわたしは今

愛犬のリンちゃんといつも一緒で

それから父のお誕生日も一緒にお祝いできて

美味しい手作りの野菜で手作りご飯を食べれて

そしてわたしを心の底からずっとずっと

愛し育ててきてくれた両親が

まぁまぁすぐ会える場所にいる。


この幸せや喜びを

一番そばで一緒に

一番分かち合いたかった

一番愛する人のからだは

ここにはもう存在しない。


ずっと一緒に

美味しかったね、

楽しかったね、

幸せだね。


そんな言霊を

ずっとふたりで言い続けて

生きていけるものだと

期待してた。



それでも


本当に大切なものとは何なのか


本当に愛するべき存在とは誰なのか


この沈みゆく深い悲しみが

「味わう」ことによって

こんなにも大きい愛しみとして

わたしに安寧たる静けさとともに

ゆっくり、ゆっくりと広がり浸透している。


彼のたましいは
いつでもここに
わたしと共に在る。


その体感を

ようやく感じられるように

感じ、味わうことを許したから

できるようになってきた。


悲しみとは

いのちあるものの幸せの一部なのだと


味わい深い人生の

お出汁のような旨味のもとなのだと


味わうことで

悲しみは愛しみへと昇華する。


そう思う

やっぱりまとまらない苦笑

今日この頃なわけでした。


ということで、

父の日週末も

たっぷり味わい深い人生を❤️ 


心より愛と希望と感謝の気持ちを込めて。 


**************************


悲しめば悲しむほど じっくりと味わい尽くせば尽くすほど 

悲しみは愛しみに昇華していく。


悲しみ抜くこと そのものに癒す力がある。


 古代からも今も、そして 私たちの本質そのものでもあり、 宇

宙的に見ても そして生まれてきた目的。


だね❤️


そしてラジオの方は感動の父の日シリーズ、