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自分を天にあずける

2023.05.20 08:08

Facebook相田 公弘さん投稿記事

中国の歴史書「列子」に、面白いお話がありました。

今から2500年ほど前に書かれた書物ですが、今の世でも通ずる学びがありますね♪

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酔っぱらいが車から落ちた時、けがはしても死ぬほどのことはない。

同じ人間のからだでも酔った時は軽くてすむのはなぜか。無心の境地にいるからである。

車に乗ったのも知らない、落ちるのも知らない。

死ぬのがこわいとか、落ちるのが恐ろしいとか考えない。

だから、車から落ちる時、恐怖心がないのだ。酔いがもたらす無心の境地でさえこうなのだ。

まして天によって心の調和を得たならば・・・。聖人は生死、利害を超越し、自分を天にあずけている。だから傷つくことがないのだ。

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「中国の思想 [Ⅵ] 老子・列子」 松枝茂夫+竹内好(監修)徳間書店より

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恐怖心や不安をかかえている状態のとき、人は集中できなくなるそうです。

「これをしたら怒られるかもしれない」と思って行動するとき、大体怒られるような結果になります(笑)

1対1で話すときはいつもと同じように話せる人でも、1000人の前で話せと言われたらいつものパフォーマンスが出せないかもしれません。

スポーツの世界でも、ここぞというときに決める人と、決められない人がいますが、それは集中できるかどうかです。

周りの環境や試合の状況で緊張や不安をかかえてしまったら、打てるものも打てません。

しかし、スッと集中できるようになると、まさに無心の状態になりますので、いつも出来ていることが難なく出来るようになりますね♪

まるで、1対1で話しているときのように(😊)bということで、スッと集中できるようにしましょうね♪

「おいおいっ!どうやって!?」

はいっ!集中は、訓練で高められるそうです。

だから昔の人は、座禅や瞑想を大事にしていたのかもしれませんね♪

吉田松陰さんが子供のころ、本を読んでいるとき顔に蚊がとまって、顔をかいたら殴られたというエピソードがありますが、

顔をかくことに怒ったのではなく、集中力を高めるために怒ったのでしょう。

ここぞというときに決める集中力、高めていきたいですね(*^_^*)

※魂が震える話より


Facebook小名木善行さん投稿記事·

吉田松陰の辞世の句として有名な、 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂 は、処刑を前にした吉田松陰が弟子たちに与えた書である「留魂録」の冒頭に掲載された句です。

吉田松陰は、山鹿流です。

山鹿流は、山鹿素行を元とし、播州浅野家、赤穂浪士の精神面の支柱となり、吉田松陰の思想となり、そして明治維新後は、維新政府の思想となり、乃木大将を通じて昭和天皇にも引き継がれた思想です。

その吉田松陰は、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結んだことを非難し、幕府の老中、間部詮勝(まなべあきかつ)の誅殺を企てたとして、安政6(1859)年、江戸小伝馬町で斬首となりました。

このときの松蔭の年齢は、数え年30歳(いまの29歳)です。

その29歳の若者が書き残した「留魂録」は、松陰の意思を継ぐ維新の志士たちのいわばバイブルとなり、明治維新への大きな原動力となりました。

是非、ご一読賜われればと存じます。

なお、先にねず流で現代語訳を行い、下に原文を示します。

http://nezu3344.com/blog-entry-2301.html#more 【吉田松陰の留魂録】より

なお、先にねず流で現代語訳を行い、下に原文を示します。

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『留魂録』 吉田松陰

  身はたとひ  武蔵の野辺に朽ちぬとも  留め置かまし大和魂

今日、私が死を目前にして平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環を考えたからです。

農事にたとえれば、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくり、村々には歓声が満ちあふれます。

そんな収穫期を迎え、その年の労働が終わったのを悲しむ者など、私は聞いたことがありません。私はいま、30歳で生涯を終えようとしています。

いまだひとつも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ていて、惜しむべきことなのかもしれません。

しかし私自身について考えると、やはり花が咲き、稔りを迎えた、そんなときなのだろうとしか思えません。なぜかというと、人の寿命には定まりがないからです。

農事が四季をめぐって、くりかえし営まれるようなものです。

人間にも春夏秋冬があります。

十歳で死ぬものには、その十歳の人生のなかに、おのずから四季があります。

二十歳には、おのずずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の四季が、五十、百歳にもおのずから四季があります。

十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことにしかなりません。

百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはなりません。

私は三十歳ですが、四季はすでに備わっています。花を咲かせ、実をつけています。

それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私にはわかりません。

しかしもし、みなさんの中に私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるでしょう。

みなさんも、どうかこのことをよく考えてみてください。

【原文】

一、今日死ヲ決スルノ安心ハ四時ノ順環ニ於テ得ル所アリ

蓋シ彼禾稼ヲ見ルニ春種シ夏苗シ秋苅冬蔵ス秋冬ニ至レハ

人皆其歳功ノ成ルヲ悦ヒ酒ヲ造リ醴ヲ為リ村野歓声アリ

未タ曾テ西成ニ臨テ歳功ノ終ルヲ哀シムモノヲ聞カズ

吾行年三十一

事成ルコトナクシテ死シテ禾稼ノ未タ秀テス実ラサルニ似タルハ惜シムヘキニ似タリ

然トモ義卿ノ身ヲ以テ云ヘハ是亦秀実ノ時ナリ何ソ必シモ哀マン

何トナレハ人事ハ定リナシ禾稼ノ必ス四時ヲ経ル如キニ非ス

十歳ニシテ死スル者ハ十歳中自ラ四時アリ

二十ハ自ラ二十ノ四時アリ

三十ハ自ラ三十ノ四時アリ

五十 百ハ自ラ五十 百ノ四時アリ

十歳ヲ以テ短トスルハ惠蛄ヲシテ霊椿タラシメント欲スルナリ

百歳ヲ以テ長シトスルハ霊椿ヲシテ惠蛄タラシメント欲スルナリ

斉シク命ニ達セストス義卿三十四時已備亦秀亦実其秕タルト其粟タルト吾カ知ル所ニ非ス若シ同志ノ士其微衷ヲ憐ミ継紹ノ人アラハ

乃チ後来ノ種子未タ絶エス自ラ禾稼ノ有年ニ恥サルナリ

同志其是ヲ考思セヨ

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吉田松陰は、首をはねられ、亡くなりました。

しかし、松陰が抱いた憂国の志は、明治の志士に引き継がれ、明治維新を成し遂げ、日本の独立を守り、アジア諸国の植民地からの独立を実現させ、いま、アジアの国々のおおいなる発展を実現させました。

さいしょは、たったひとりから。

そしていまは、眼ざめた個々の人々が、まだまだバラバラな状態なのかもしれません。

正しいことは、どんなに弾圧を加えようが、かならず火は燃え広がるのです。

たいせつなことは、日本は対立と闘争の国ではないということです。

どこまでも、陛下を中心とした「和と結いと対等の国」です。

もうひとつ興味深いのは、この遺書で松蔭が、その門下生たちに「みなさんも、どうかこのことをよく考えてみてください」と呼びかけていることです。

吉田松陰は、山鹿流軍学指南所の塾長です。

その山鹿流は、ご皇室を尊崇し、我が国における天皇の存在のありがたさを、あらためて世に知らしめようとした国学です。

そしてその国学の塾長が、門下生に対して、「弟子たちよ」という上から目線ではなくて、「みなさん」という、対等な人としての呼びかけをしています。

ここにも、日本のシラス国である姿勢が明確に現れています。

日本は、一部の権力者が、大衆を支配するウシハク国ではありません。

ですから、たとえ年長の師匠であったとしても、その門下生たちへの思いは、あくまで「同志」です。

つまり、いま、日本を守ろうと立ち上がった人たちは、ひとりひとりが、人として対等な同志であるということです。

それがシラス国、日本です。