近代アジアの動乱37-イランのタバコボイコット
2023.05.20 11:42
イランのガージャール朝は、欧州諸国に権益を渡し、半植民地化が進行していた。1890年、イランにおけるタバコの独占権をイギリスに渡すとさすがにボイコット運動が広がった。というのも、タバコはイランの嗜好品として広く親しまれ、多くの農家も栽培で収入を得ていたからである。
特にシーア派のウラマー達がその中心となった。このボイコットはイラン主要都市に広がりをみせ、シャーは中心聖職者をイラクに追放した。しかし彼らはシーア派最高聖職者のシーラーズィに働きかけ、ついに91年「タバコファトワ」が出された。イギリス製のタバコを売らず、人々にも喫煙をやめよという内容である。
このファトワによって主要都市のバザールは一斉に閉店し、抗議デモが各地に広がり、警官たちと衝突する。聖職者達も公然とモスクで、異教徒達が販売するタバコは不純であり、喫煙してはいけないと説教をする騒ぎとなった。2年の騒動のあとシャーはイギリスへの利権を取りやめた。
タバコボイコット運動は、聖職者と商人が中心となり、広範な大衆運動となった。それにとどまらずイランのナショナリズム運動の契機となり、列強に支えられているガージャール朝打倒運動にまでつながっていった。そして1906年のイラン立憲革命に続くことになる。