5月21日(日)21時41分
昨日の話。
昨日は相模大野駅から歩いて程ないところで開かれた「さがみはら一箱古本市」へ行ってきた。
主催のkafkaさんは去年の7月にうちの一箱古本市に出店いただいていて、その後の10月に第一回の一箱古本市を主催されている。
雨天を覚悟した中での相模大野、蓋を開ければ雨に降られることもなく一日を終えられた。
とは言っても、このさがみはら一箱古本市はとあるマンションの地下に広がる空間で開かれるので、基本的に雨であろうと問題なく敢行できる。部屋、というにはあまりに広々した空間でせせこましさは一切なく、簡単な調理ならできる設備もある。正直、引くほど羨ましい。
古本市には絶え間なく人がやってきていて、本を真剣に選ぶ人、箱や棚を何気なく眺めている人、箱主と朗らかに話をする人、コーヒーやホットサンドを口にする人、畳ブースの上に置かれた炬燵に入っている人、などなどが緩やかに渾然一体となった良い光景だった。
現在もブックマンションで棚主をされている1neko.さんとようやくご対面できた。ずいぶん長いこと互いを認知しているのに、そしてニアミスはいくらでもしていたのになかなか縁がなかった。そういうの、ある。本の見せ方、そして魅せ方の工夫が面白かった。
本箱を背負って本を売る「歩く本棚」さんと話ができたことも大きな喜びだった。それぞれ方向は違えど「自前で道具を作る」ことをしているので、それらに係る点についての侃々諤々は大変楽しかった。
そろそろと言いつつずいぶんとご無沙汰となっているシネコヤさんにも、いい加減行かねばと思う。来週のスケジュールの中で、タイトルで惹かれたのは「郊外の鳥たち」。
今日の話。
今日は東京流通センターで開かれた文学フリマ東京、その後東京ビッグサイトで開かれたデザインフェスタに行ってきた。
このところは同人誌・ZINE関係のイベントはご無沙汰で、行った先でも「(文フリのようなイベントに)来るタイプとは」と言われた。確かにコミティアにも行きたいと言いつつ実際はあまり行けていなかったし、自らZINEを作ることについても消極的であると思うので(去年作った『最高の三十代~Perfect SAN-JU-DAI~』は例外として)、確かにこの手のイベントに出張ることはここしばらくなかった。
こんぶトマト文庫を始めて3年と少し経って、それ以前と以後では本に対する付き合い方が大きく変わった。その目線と姿勢を携えて文学フリマに臨んだらまた違うのかもしれない。そういう念はあった。
会場の規模や参加ブースの数から覚悟はしていたが、想定以上に広く、人が多く、故にとても熱気に満ちた空間となっていた。
数年前に参加した時はどこか牧歌的な雰囲気すら漂っていた覚えがあるが、とてもじゃないけれど悠長に見て回るなどできないほどに、どこの通路も人で溢れかえっていた。
おまけに「東京モノレールの流通センター」に行かねばならなかったのに、なぜか自分の行先を「東京テレポート」と認識していたせいで、予定よりも所要時間が短くなった。事前の確認の大切さを改めて痛感した。
友人(猟師)からの頼まれものと自分のシュミなところを満足させるために、先に第二展示場へ向かった。
一度お会いしてみたかった売り子の方から直接本を買うも、その後の予定と状況の読めなさから恐れをなして買い物のみを済ませてさっと退散する。
その後第一展示場へ足を運ぶ。ひたすらに広い。遠くが見えない。あれは蜃気楼ですと言われたらなるほどそうなのですねと納得しそうなほどに遠い。運営の皆様はもちろんの事、当日の朝からボランティアで会場設営をされた多くの方々にただ敬服する。こんなでっかい会場でのイベントをつつがなく回すのなんて想像するだけで辞する。家に帰らせてください。
この時点で予定をすべて消化することは無理だと判断した。というより、これを満足に楽しもうと思ったらとてもじゃないけれど5時間では足りない。この短時間に込められた多くの人たちの執念にも似た力の結集を想像すると、人間の業というものは何とも果てしないものだなと思う。その一端を担う身でもある。
あちこちを急ぎ足で駆け巡り、途中のチェックポイントよろしく田畑書店さんのブース前が人の波を凌ぐのにとても具合の良い場所だったので、そこでしばし一息をついていた。正直動きたくないとすら思っていた。どこもかしこも人がいる。果たして次回以降はどれほどの規模感で開かれるのだろうか。
結局最後の時間調整もその場にいて(最後の一分一秒まで現場に食らいつく、といった気概は既に消沈していた)、良い頃合いとなったので会場を後にした。
二日間にわたって、市井で開かれた本の市に行ってみて、つくづく「世の中にはこんなにも本を求める人たちがいるのか」という希望に似た気持ちを抱きそうになる。
それに感銘を受けて頑張ろうと思いたくなる。
それは事実として間違いではないだろうし、その場にたぎる熱を否定する根拠はない。
ただ、今自分が自分を置いている立ち位置を振り返るに、あちらに湛えられている憧憬にも似た光景にばかり惹かれていては駄目なのだろうと明確に思う。
おおよその人にあの光景は関係が無いものであり、そしてあの光景の中になくともおおよその人の生活への本はある。
より見るべきはそれだと戒める。
そう気張ってばかりいても疲れるので、デザフェスに出店していた友人(猟師)のところで買った鹿の角と革を手にする。
革はブックカバーにしたらよさそうと思い立ち、まぁ今のところ技術も道具も何もないのだけど、そのことを前に相談をしたら、今日持ってきてくれていた。
角は、ノリで買った。用途はない。切削して何か作る気もなく、かと言ってそのまま飾るにはなんか違う感があり、どうしよう。これ。まあいっか。