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アメリカで、乳がん治療&子育て奮闘記

卒業式

2018.06.18 01:04

娘が無事、高校を卒業しましたー!

日本と違ってこちらの卒業式は、卒業生550人を含む4000人の参加者で行われるので、市の記念会館のようなところで行われるんです。

こんな会館で、観客ぎっしり!1生徒、6人までしか招待できないんです(チケット制)。


家族の人たちは、うちわに卒業生の顔写真を貼って持って来たり、横断幕を持って来たりしている人もいました。


みんな、お祭り騒ぎです!嬉しくて仕方ないっていう感じ。


日本のように、しみじみ、涙が出て。。っていうのとは全く違い、娘に恥ずかしいから、くれぐれも泣かないようにと言われていました。


そして、卒業生の入場です!白い服を着ているのは、在校生です。


足を骨折した子(車椅子)が最初なのですが、その後に一般生徒の先頭きって娘が堂々と歩いて来るのを見た時、


この4年間封印して来た感情や、色々な思い出が溢れて来ました。


いままでお話ししたことがなかったのですが、高校に入るすぐ前に、突然、娘が重度の脊椎側彎症と診断され、これ以上悪くなったら背骨の手術をして、2ヶ月寝たきりだと言われました。


娘は襟ぐりから腰骨まで、筒のような硬くて分厚いプラスチックのコルセットを運動中と入浴以外ずっとつけるように言われ、他の女の子たちが着ているような服もきれず、かがむことができないので、ロッカーも特別に高校に用意してもらって高校生活が始まりました。こんなロボットみたいでは、友達もできないと、毎日泣いていて、それを見ている私も、本当に心が痛みました。


それと同時に、私の父が癌になり、彼女の学校が始まった2日目から、私は日本に3週間ほど一時帰国し、娘の不安定な時期に、日本で夜寝ないで娘と連絡を取っていました。


その12月、父が他界。そして翌年、娘の父親がうちを出て行き、そこから半年後に私の乳がんが発覚し、約6ヶ月の手術と抗がん剤治療。。。。と、とにかく色々なことがあったのです。私達にとって、本当に厳しい4年間でした。


娘の行進する姿を見て、そんな思い出や、封印して来た弱音、そして、辛い時に支えてくれた友達の姿が浮かんで来て、涙が止まりませんでした。


かなり派手に泣いてしまっていたので、周りの人達、ギョッとしていたと思いますが、誰も何も言わずにほかって置いてくれて、助かりました。


卒業生はスクールカラーの赤いガウンです。 帽子の上の部分に、自分の行く大学のデコレーションをするんですよ。


。。。。そして、式が始まり、。。。


娘は、卒業生代表のスピーチをさせて頂きました。


前日まで、何度も何度も暗記して、緊張しないでちゃんとスピーチ出来るか、本人も私もドキドキでしたが、


こちらの子供達は、パブリックスピーキング慣れしているのか、なんなく笑いも(スピーチの中に、笑わせるところもあったんです)取りながら、スピーチ完了しました。


親は、子供とともに成長するといいますが、


本当にこの4年間、娘がいたから強く、泣き言も言わずに頑張ってこれたんだと思います。


未熟児で生まれ、病弱だった娘が、こんなに大きくなり、高校を立派に卒業できたことを、本当に嬉しく思っています。


本当に、幸せです!


次回、卒業プチ旅行!