2023年度石川遠征第1弾 犀川大橋
石川県金沢市(かなざわし)
言わずと知れた北陸地方最大の都市。
近年は北陸新幹線の影響で発展著しい北陸地方の盟主です。
北陸地方に新潟県を含むか含まないか論争ってのがこのエリアにはあるんですが、個人的には北陸地方は北陸三県(福井、石川、富山)、新潟県は信越(長野、新潟)か甲信越(山梨、長野、新潟)というイメージがあります。
ま、結局山梨以外は北信越でまとめられる運命なんですが。
上記論争は新潟を含むと北陸地方最大の都市が新潟市になるってのが遠因となってたりします。
ま、そんな勢力争いは置いておいて、金沢が文化的に優れた街であることは今更語るべきものでもないでしょう。
そういうまちには大抵あるのがランドマーク。
大阪なら通天閣や道頓堀、名古屋なら電波塔、札幌のテレビ塔など、この街の景色といえばこれというのがあるものです。
金沢なら鼓門、兼六園などいろいろありますが、個人的には歓楽街である香林坊、片町、竪町は外せません。
そこの入り口にあるのがこいつ。
レポスタート!
犀川大橋(さいかわおおはし)
歓楽街の東の端を流れる犀川に架かる橋です。
個人的には金沢の景色といえばこれと思うくらい、何度も通っている橋です。
大正14年竣工
このレベルの橋が大正に生み出されているという衝撃。
歩道の各幅や補強は行われていますが、基礎構造は大正時代のままです。
架かっているのは2級河川である犀川。
金沢出身の有名な作家であり詩人の室生犀星のペンネームの由来は、この犀川の西に生まれ育ったことだそうです。
金沢市の文化に深く根付いている川ですね。
ちなみに2代目犀川大橋は鉄筋コンクリート製だったそうですが、この犀川の氾濫によりわずか3年の命だったそうです。
溢れるんだな、この川・・・。
右に見えるいるのは・・・。
まだ秘密・・・。
青系統の色が特徴的な犀川大橋ですが、実はこれまでに何度かお色直しをしています。
初代はねずみ色、そこからカーキ色、クリーム色、黄緑色、そして現在の色に落ち着いているとのこと。
黄緑色はなかなかエキセントリック。。。
下路ワーレントラス橋
トラスを最も味わえる下路形式が映えています。
リベットも相まってかなりごつい印象を受けますね。
古い大型橋のこの雰囲気が大好きです。
そしてこの扁額の特別感!
これはいい。
隧道のような位置に掲げられた橋名。
これだけでこの橋が特別な存在なんだということが伝わります。
歩道の照明までおしゃれ。
樫曲隧道でも見ましたが、あそこのは死んでたからなぁ。
現役で見るのは初めてかもしれません。
そしてこの橋、実は国の登録有形文化財に指定されています。
大正時代竣工の巨大ワーレンアーチ橋というのは、それだけ貴重。
しかも金沢市の歴史とこれだけ密接に絡めばそれも納得です。
さて、対岸にたどり着きました。
ここからは反対側を渡って帰りましょう。
片側2車線もあるので、渡るのも時間がかかります。
上でも触れましたが、実はこの写真の中で第2弾のネタが写りこんでいます。
きっとわかる人にはわかるはず。
もしわかったら、あなたはなかなかコアなひと。
橋上には犀川を眺められる椅子がありました。
それほどまでに金沢市の水事情にとって犀川は重要だったのです。
この辺りは第2弾で詳しく語らせていただければと思います。
橋の袂には橋の歴史を教える看板が設置されていました。
それほどまでに愛される橋、素晴らしいですね。
写真にも写っていますが、実は大正8年から昭和42年まで北陸本線金沢市内線(ほくりくてつどうかなざわしないせん)という鉄道が走っていた時代もあります。
調べてみましたが、路面電車だったため遺構はほぼ残っていないとのこと。
実は昭和8年というのは2代目犀川大橋が竣工し、木橋から永年橋では鉄筋コンクリート橋に切り替わった年。
つまり鉄道橋として橋を架けるために犀川大橋は大型橋として生まれ変わったのです。
そういう意味では数少ない北陸本線金沢市内線の遺構とも呼べる現犀川大橋。
橋に歴史ありです。
さて、この橋が架かっている道は国道です。
国道157号・国道305号
両方とも福井県民にはなじみ深い道。
両国道共に香林坊付近の武蔵交差点が起点、しかし国道305号は起点からずっと重複なので能美市まで単独区間は現れません。
こんなところから続いてたんですね。
さて、金沢が誇る歓楽街片町の景色を眺めながら一旦このレポを閉めたいと思います。
第2弾ではこの片町に眠る歴史的遺構を掘り下げます。
お楽しみに!
以上、犀川大橋編