「初の等身大裸体像『クニドスのヴィーナス』」
ルネサンス以降の絵画では、ヴィーナスというとまず間違いなく裸体(キューピッド、鳩、バラなどとともに他の神々と区別する重要要素))で表現されるが、古代ギリシア彫刻で、女性の裸体像が初めてつくられたのは紀元前4世紀ごろのこと。それまでは女性像はヴィーナスを含めすべて着衣像だった。 例えば、ヴィーナス誕生を浮彫で刻出した『ルドヴィージの玉座』。大海原に投げ捨てられたウラノスの男根から湧き出した白い泡から生まれたアフロディテ(ヴィーナス)が着衣姿とは奇妙ではあるが、薄衣「キトン」(古代ギリシャの衣類)をまとっている。しかし、濡れたキトンはヴィーナスの上半身にまといつき乳房のふくらみを明確にしている。その魅力的すぎる姿を、一刻も早く人目から避けようとするかのように浜辺に立つ左右のホーラ(時と季節のニンフ)が布を広げてヴィーナスを包み込もうとしている。現代人の感覚からすると、水に濡れた薄衣が体に張り付き、肉体が露わになる表現は、裸体像以上にセクシーだが、当時は女性の裸体像への抵抗感は根強かったようだ。
ギリシャ彫刻史上初めて女性の裸体像を造形課題として正面から取り上げたのは紀元前4世紀中頃のアッティカの彫刻家プラクシテレスデレス(生没年不詳)である。彼は「ヴィーナスの美しさをいかに表現するか」に挑戦し、初めて等身大の女性の裸体像「クニドスのヴィーナス」を作った。この作品は現存しないが、原作が存在していたローマ時代にその模刻(「ローマン・コピー」)が多数制作された。その中で、最も忠実なローマン・コピーとされ、原作本来の特徴をよく表しているとされるのが、ヴァチカン美術館の『クニドスのヴィーナス(コロンナのヴィーナス)』である。八頭身の上、「コントラポスト」(右脚に体重を乗せ左脚をわずかに後方に置くことによって逆S字形の正中線[身体の中心を走る線]を生み出すポーズ)によって安定していながら動きを感じさせる。このポーズは、この後、ヨーロッパの彫刻及び絵画における人体表現の基本となって今日まで受け継がれている。
ところでプラクシテレスはコス島の注文で、裸体のヴィーナス像「クニドスのヴィーナス」とともにもう一体着衣の厳かなヴィーナスもつくった。コス島の人々はどちらを選んだか?着衣のヴィーナス像である。では裸体のヴィーナス像はどうなったか?クニドスの人々が購入した(だから「クニドスのヴィーナス」と呼ばれる)。そしてこんな風評を流布させたという。ヴィーナスがこんなことを語ったというのだ。
「パリスやアドニスやアンキセスが私の裸を見たことは知っているが、プラクシテレスはどうやって見たのかしら」
各地からこの「クニドスのヴィーナス」を一目見ようと押し寄せたのは当然だろう。
(「ルドヴィシの玉座」ローマ国立博物館)
(「サモトラケのニケ」ルーヴル美術館)
体にぴったりと張り付いた衣裳の線によって身体のふくらみを表現した彫刻の中で、最も優れているとされる作品
(プラクシテレス原作「クニドスのヴィーナス」ヴァチカン美術館)
(「ミロのヴィーナス」ルーヴル美術館)
コントラポスト、八頭身と言えばこれ
(ウィリアム・ブーグロー「ヴィーナスの誕生」オルセー美術館)