「宇田川源流」【宇田川教育論】 理数系全盛の時にあえて人文社会学を新設する実践女子大
「宇田川源流」【宇田川教育論】 理数系全盛の時にあえて人文社会学を新設する実践女子大
毎週水曜日は「宇田川教育論」か「大河ドラマ」に関してお話をさせていただいている。ニュースの解説ばかりでは肩が凝ってしまうので、一週間の真ん中は少し気を抜いた話ができるようにということで、大河ドラマに関しては「現在よりも過去について、そしてテレビドラマということに関して話をする」ということを、また「宇田川教育論」に関しては「若者を教育するということを通して、日本の将来を考える」ということをテーマにしている。要するに水曜日は、いつの間にか「現在ではなく、過去や未来を語る日」というようなテーマになりつつある。もちろんそのようなことをはじめから企画したわけではないのであるが、いつの間にかそのようなテーマになっている。
さて、最近の教育論では、「女子大が無くなってきた」ということをお届けしてきた。実際に、いくつかの女子大が募集停止をしている。そもそも「少子化」で子供がいなくなってきているのに、第二次ベビーブームの状態でそのまま大学数が残ってしまっている。そのことから、徐々に大学の価値が下がりなおかつ大学そのものの定員割れが出てきてしまっているのである。
そのうえ、大学とは別の問題で、「男女雇用機会均等法」などが発行され、昔は女性に関しえt「一般職」「総合職」という分類があったのであるが、今やその一般職というものはなくなり、全員が総合職というような感じになるのである。そしてより一層「女性の権利」というようなことを言い出してジェンダーが叫ばれるようになってきた。他の曜日に話をしてきたが、行き過ぎだジェンダーの主張は、とうとう歌舞伎町タワーにおいて、ジェンダーレストイレなるものが出来上がり、男女の区別がない、、男女混合トイレが出来上がったのである。このことによって、女性が痴漢を恐れてトイレに行けなくなってしまったなどと言う話が出てきた。
まあ、その話は別であるが、一方で、女子大ということも徐々にその社会的な役割を失ってきているのではないかという気がする。片方で、女性だけを集中して大学にするということは特に必要が無くなってきたのではないか。一方で東京理科大など「女性枠」なるものが出来上がってきてしまい、女性が一般(教学という意味)の大学に入りやすくなってしまい、より一層女子大学の社会的な役割が無くなってしまった。
同時に「良妻賢母」なる言葉もなくなり、女性が社会に出て働くという価値観が重視されるようになっているのではないか。
実践女子大、2024年に国際学部を創設ーー人間社会学部には社会デザイン学科を新設
実践女子大学は2023年4月28日、翌年度から「国際学部」を創設するとともに、人間社会学部に「社会デザイン学科」を新設し、人間社会学部の現代社会学科を「ビジネス社会学科」に名称変更すると発表した。
2024年4月から「国際学部」や「社会デザイン学科」が開設されるのは、同大学渋谷キャンパス。ITやファッションブランドのグローバル企業のほか世界各国の大使館が集まり、AIやビッグデータ企業のスタートアップも多い渋谷の特性を生かした教育を展開する。同大学での学部新設は、2004年度の人間社会学部以来となる。
国際学部では、カリキュラムに「言語・コミュニケーション科目群」や「国際文化科目群」など学生のコミュニケーション能力をアップさせる科目群を設け、異文化・多様性への理解やグローバルな視野を合わせ持つ女性人材の育成を目指す。ほかにも「日本文化科目群」や「地域・観光科目群」など海外で日本人のアイデンティティを発揮したり、国内で地域の国際化に貢献できたりする科目群を充実させる。
また、学生には2年次に3か月以上の海外留学を課し、羽田などの国際空港で来日する外国人をサポートしたり、国内の高級リゾートホテルで業務を体験したりするプログラムも検討している。
「社会デザイン学科」は、新しいアイデアやビジネスモデルを生み出す手法として近年注目されているデザイン思考のスキルや知識を活用して社会的課題の解決に貢献できる女性人材の養成を目指す。「共創デザイン系」「ソーシャル・データサイエンス系」「メディア・イノベーション系」の3系統のカリキュラムを通じて、最先端のデータサイエンスやAI、IoT、ビッグデータ、ソーシャルメディアなどの知識を学び、スキルを磨く。
また、現代社会学科を「ビジネス社会学科」に名称変更するとともに、カリキュラムを「社会フレーム系」「経営・マーケティング系」「グローバル社会系」の3系統に再編成する。
これらの改編により、2024年度から渋谷キャンパスは文学部と人間社会学部、国際学部の3学部7学科となる予定。
2023年5月18日 進学ねっとニュース
https://shingaku.jdnet.jp/news/20230515-jissennjosidai.html
このブログの中では大妻女子大学の事をたまに書いている。東郷平八郎が「恥を知れ」ということを描いたエピソードである。「良妻賢母」の道の最も初めにありそして最も重要なことが「恥を知ること」そして「恥ずかしいことを知らなければ、恥ずかしいことをしてしまい、また自分の子供にも恥ずかしいことをさせて平気になってしまう」ということになる。
さて、以前は女子大学というのは「女性である」ということからその特徴を生かした教育を行っていた。基本的には、女性であるということは結婚をして子供を産んで育てる」ということを行うとされており、「良妻賢母」が究極の目標であるということになってくる。しかし、現在では「結婚しないの」「子供はまだ」という言葉を言うだけでセクシャルハラスメントになるという世の中であり、そもそも良妻賢母を目指すなどと言うこと自体が、ハラスメントの一つとなるのであろう。逆に言えば、女子大学がそのようなことを求め、また、それを目標にするということは「存在自体がジェンダーまたはセクシャルハラスメントの存在である」ということになる。そのような「時代遅れ」の存在であるがゆえに、そこに来る女性が少なくなり、そして、その存在が否定されてくるのである。
そのような中で、実践女子大学は「女性が社会に進出する事」を中心に行っている。ある意味で「良妻賢母を捨ててしまい、社会に出て活躍する女性」ということを中心に学ぶということになる。
実践女子大学は2023年4月28日、翌年度から「国際学部」を創設するとともに、人間社会学部に「社会デザイン学科」を新設し、人間社会学部の現代社会学科を「ビジネス社会学科」に名称変更すると発表した。<上記より抜粋>
まさに、理数系がもてはやされる中で、文系または環境ということを学び、経済や経営に関する内容をグローバルに学ぶということを行うのではないか。そのようにすることで、大学そのものの生き残りを図ると同時に、女性の社会進出ということを「女性特有の問題」として考えてゆくということになってくる。ある意味で「女性が区別される」存在であることを認め、そのうえで、活躍できる土台を作るということになるのではないか。そのようなことを予感させる大学になってきているのである。
学び方も変わってきている。そのようにしなければ、大学は生き残れない時代になってきているのではないか。