近代アジアの動乱38-半田陸海軍大演習
2023.05.23 11:36
「甲申政変」の失敗で、清国との軍事力の差を痛感した日本は軍備拡張に入る。しかし松方デフレ下で軍の思うような大拡張は困難だった。そこでフランスのベルタンを海軍顧問に迎え、大型戦艦よりもスピードの速い巡洋艦、海防艦、水雷艇を揃える方針となった。しかし大砲は清国より大きい32㎝にする。
陸軍も近代化を行い、7個師団体制を構築する、戦時動員兵力は20万人である。また「統帥権」という言葉で、戦争遂行は天皇の直轄権力となり、その下に参謀本部が独立して置かれることになった。これは戦争遂行が政治家や議会の意見に左右されることをなくするためだった。
そして1890年3月28日から4月2日まで、日本で最初の陸海軍大演習が愛知県半田市で行われた。これは軍を2つに分け、西軍は上陸して東京に侵攻をめざし、東軍はこれを防戦するという想定で、攻防両面の作戦演習である。これは清国戦争を意識したものではないが、軍事力を示す絶好の機会となった。
そして参謀本部では、日清戦争の作戦計画が立案されつつあった。しかしこの時期の政府の方針は、イギリスの仲立ちのもとに清国と交渉しつつ、朝鮮での権益を追求するという井上・伊藤の穏健路線が主流であり、作戦計画は参謀本部内の机上のプランでしかなかったはずだった。