No.25 柳田貴治さん【向き合う人④ミャンマーの伝統的なファッションに向き合う】
福岡県生まれ。ヤンゴン在住歴は約6年。同地にて4年間のローカル企業勤務を経たのち、ファッションブランド“YANGON CALLING”を立ち上げる。
ミャンマーの伝統的な生地を用いて作るワンピースを中心にデザインを手がけ、質の高いミャンマーのテキスタイル文化を広めている。
ヤンゴンの北部に位置するサンチャウン。
その街の一角に、日本のNGO団体AAR*が設立した小さなテーラーショップ、Princess Tailoring Shopがある。
ご自身のファッションブランド“YANGON CALLING”でデザインをしたものを
AARの生徒達が、カタカタとミシンを鳴らしながら縫い上げる。
どれも全部、オリジナルの一点モノだ。
*ミャンマーで地雷被害者や小児麻痺などによって障がいを持った人を訓練生として迎え入れ、裁縫、理容、コンピューターの訓練を行っている。
■民政移管直後のミャンマー。布屋さんでトレンドを追うのが唯一の楽しみだった
柳田さんがミャンマーに移住したのは2012年。
長い間、軍事政権が国政を牛耳っていたミャンマーでは、2011年に民政移管がおこり、約49年続いた鎖国状態から解放された。
「今でこそヤンゴンにはショッピングモールや娯楽施設が増えましたが、僕が来たばかりの時は、娯楽と呼べるものがほとんどありませんでしたよ。」
そう話す柳田さん。日本にいるときは洋服屋や本屋、レコード屋の陳列棚をたどり、トレンドの変化を見て回るのが趣味だったという。しかし、当時のヤンゴンでは輸出入が制限されたこともあり、そのような気のきいたお店はなかった。
そこで、彼が目をつけたのはヤンゴンのいたるところにある、布屋。
ミャンマーではロンジーという伝統的な巻きスカートを男女ともに着用している人が多く、今でも街には布専門店が点在している。
「ロンジーは伝統的なミャンマーの民族衣装ですが、現在進行形で進化を続けるファッションでもある。布屋でのトレンドが毎回変わるので、面白くて足繁く通うようになりました。」
サンチャウンにある布屋。地域によって異なる特色を持つ布が並ぶ。
左手の巻きスカートがロンジー。鮮やかで個性的な柄をした布が並ぶ。布を購入した後、隣接する裁縫店に出向き、伝統的なロンジーが出来上がる。
■ファストファッションの参入により痛手を受けた伝統文化
はじめは現地の企業に勤めながら、趣味で布屋巡りをしていたという柳田さん。
どうしてご自身のブランドを立ち上げるまでになったのか。
そこには、民政移管後、人権費の安さからミャンマーの縫製工場がファストファッションの製造工程に組み込まれていったことが深く関係していた。
「2017年度の縫製業は、輸出品目中第3位の輸出額を占めていました。
ミャンマーの縫製工場は、ただファストファッションのアイテムを縫うだけ。そこにミャンマーの文化が介在されていないことに、不安感を抱くようになりました。」
それに加え、近年ミャンマーはファストファッションの消費国にもなってきているという。
「初めてミャンマーを訪れた時に比べると、格段に洋服を身につける人が増えてきているように感じます。」
ミャンマーに来てミャンマー固有の上質で美しい布があることを知った柳田さん。ロンジーのための布は伝統品ではなく、現在進行形のファッションとしての役割を担っている。
そう気付いた時には、ミャンマーの上質な布を用いて、現代風にアレンジされたファッションを作っていきたいという思いが強くなっていたという。
その後柳田さんは4年間勤めたミャンマー現地の会社を辞め、デザイナーとして新しいキャリアを歩み始めた。
■ファストファッションに代わる第二のスタイルを確立させたい
柳田さんがデザインを手がけるのは、一見、洗練された小綺麗なワンピース。
しかしよく見てみると、一つ一つ使用している色や、柄などに布それぞれの個性が出ている。
触り心地も厚さも、その良さを十分に生かすことができるように形取られた洋服はどこか嬉しそうだ。
「ファストファッションが消費されていくことは時代の流れとして、認めていかなくてはいけません。ただ、それに代わるもう一つのファッションのあり方として、ミャンマーの伝統的な布を用いてモダナイズされたファッションも同様に広めていきたいですね。」
柳田さんは、そう話す。
これからの夢は、布を作るための紡績工場が併設された、自身の工房を持つことだと言う。
まだ、その国固有の文化が色濃く残っているミャンマーだからこそできる挑戦なのかもしれない。
ファストファッションに並ぶ、新たな文化の創造を目指し、柳田さんの取り組みは今日も続いていく。
Yangon Calling 公式HP: https://www.facebook.com/ygncalling/