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「TIME AND TIDE」

A.I.と仏教について考えてみた

2018.06.19 03:27


つまるところ、「人間」って何だ?ということ


先日、現職研修会(お坊さんの勉強会)がありました。


様々なテーマでの勉強会がありましたが、今回、ちょっと特殊だったのが、

三宅陽一郎先生をお招きしてのの「人工知能と仏教・禅」というお話。

話は、阿頼耶識や正法眼蔵「有時」の巻の話など多岐にわたりました。


気になったことは、

「人間って何だ?」ということ。



AIとAI技術の違い


まず、理解しなくちゃいけないこととして、

「真のAI」と「AI技術」は違うっていうこと。


すっごく単純に言うと


「真のAI」  … 人間の知能。まだ解明されていない。

「AI技術」  … 目的があり、その目的に対して考えることが出来る。ルンバやゲームのキャラクター。


ていう感じです。


詳しく知りたい人は、新井紀子さんの本とかを読んでください。



で、

私たちが「AI」と呼ぶときは、主に「AI技術」のことなので、私も「AI」と書く場合は、「AI技術」のことだと思ってください。

未だに人間の知能というのは、解明されていません。

ていうか、解明されるのかな?

生きる意味やどこへ行き、どこへ去るのか?

とりあえずの理由をつけることはできるかもしれません。

愛の為に生きている、とか神様のおかげで○○、死んだら天国に行く、地獄に行く。。。



生きることや死ぬことについて、どんな理由を信じて頂いてもかまいませんが、

それは「一時的にそう信じている」に過ぎないと仏教は考えます。(と、私は思っています)


仏教が説いていることは、


「わからないことがあることを受け入れること」

「一寸先は闇」

ということです。



「科学が完全なもの」という誤解は、いろいろな哲学者がアプローチしている問題ですが、

それも省略します(好きな人は、ヒルベルトとかゲーテルの不完全性定理とか調べてください)


「真理は、そもそも決定不可能」という立場を私はとります。


「AI」について考えると、

所詮、関数にすぎません。

論理→統計→確率

精巧な論理があれば、人間のようなものを作ることは可能かもしれませんが、人間ではないのです。



人間が解脱を目指すのが修行、AIに執着を植え付けるのがプログラム


さて、AI開発者が仏教の修行を捉えるとどのようになるのか?


上記の図を参考にしていていただくと、

修行は解脱を目指すことと定義すると、

人間は煩悩を無くすことで解脱を目指します。


自分のこだわりや、執着が無くなることが解脱であり、悟りであるっていう解釈は正しいと思います。


逆にAI(最初のAI)は、何もプログラムされていないので、

まさに解脱状態です。


何も知らない、世界も知らない、動きもしない。

AIの開発者は、そこに様々なプログラム(煩悩!?)を植え付けるわけです。

世界の構造はどうなっているのか?

寒いとは、どういうことなのか?

遅いの反対は、早い、とか。。。

そのプログラムに従って動くのが、現在のAIです。

これによって、

自動的に情報を判断して掃除をしてくれるロボットや、チェスや将棋で人間を超えるAIが生まれます。

最近のニュースでは、そのことをもって「人間を超えた‼」とか言っているわけです。

うーん。

そこは、問題です。



人間の矮小化


なぜ、問題か?というと、

(ここからはかなり私見が入ります。)

人間の魅力は、「分からないことでもチャレンジ」「理由がなくても動く」ことが出来るからだと思っているからです。

理由がない「内から湧き上がる力」に従って、損をすることがあっても、命を落とすことがあっても行動できることが人間の魅力だからです。

AIが人間を超えると思っている人は、人間をとても小さな存在だと捉えていると思います。


現状、AIができることは、データがあることだけです。

論理→統計→確率

要素還元的でもあります。

要素を積み上げて認識をする。


私の坐禅会にはじめて参加されている人は、

メソッドやテクニック、プログラムに頼る人が多くいらっしゃいます。

それ自体は悪いことではないですが、

その行為は、

「人間をAIにする振る舞いだ」ということです。

メソッドやテクニックに頼りすぎてしまう、ある特定のメソッドしかない、と思い込んでしまうことは、人間をとてもつまらない存在にしてしまうと思います。



AIにプログラムを植えつける。教育?


何も知らないAIにプログラムを植えつけることで、AIははじめて動くことが出来るようになります。

それって「教育」なのかなぁ~と思ったりもします。


教育の定義って色々あると思いますが、

①世界はどういったものなのか?(全体性の把握)

②どう生きるのか?(価値の問題)

を知ることが教育だと思っています。


AI開発者同様、宗教者も意識しなければいけない視点だと思っています。


あ、時間がないので、今日はここまでです。

まとまりのない文章ですみません。

ブログなんて、そんなもんですよね(´・ω・`)