宇迦八幡宮
近所の神社をご紹介します。
江東区千田の宇迦八幡宮です。
下町の住宅街にひっそりと佇む神社なのですが、
石田波郷が『江東歳時記』で取り上げていることで知りました。
以来、初詣などは、この神社に通っています。
その昔、はじめは小さな祠だったのですが、
江戸時代(享保頃)、この地を切り拓いた千田庄兵衛という人物が、
その祠を篤く崇拝し、のちに私財をなげうって神社にしたそうです。
そもそも、このあたりは「深川十万坪」と呼ばれる広大な埋立地でした。
浮世絵にも描かれています。歌川広重の「名所江戸百景」の有名な絵です。
描かれているのは鷲です。
奥に見えるのは富士ではなく、筑波山。
男体山と女体山の二つの峰が見えます。
広がる大地が「深川十万坪」です。「千田新田」とも呼ばれました。
絵をみるかぎり、まだ何も建っていません。
「深川十万坪」は享保年間(1716−1736)、
千田庄兵衛が中心となって江戸市中から出る塵芥で海を埋め立てて、
あらたに土地を作ったものです。
ですので、江戸以前の歴史的なものは何もありません。
千田庄兵衛は近江商人。
幕府から許可を得て開発に携わります。
近江商人たちがこのあたりの都市開発を担っていたことは、
あまり知られていないのではないでしょうか。
江戸の都市を開発したのは、
じつは京、堺、近江といった関西の商人たちでした。
千田庄兵衛の詳細はわかっていませんが、有力な近江商人だったと思われます。
この近くに、釜屋堀公園がありますが、
そこは江戸時代に太田氏釜屋六右衛門と田中氏釜屋七右衛門という人物、
いずれも近江商人ですが、かれらがここで鍋釜を作って売る商売を行っていたことから、
「釜屋堀」と名がつきました。
こうしてみると、あちこちに近江商人の旧跡があり、
私が住む一帯は近江商人の手によって開発された土地だということがわかります。
今回、地元を歩いたことで、そんな土地の記憶に気づくことができました。
歩いてみると、見えてくるものがあるものですね。
御神木の銀杏です。
余談ですが、
わたしの遠い昔のご先祖は近江にいたらしく、
いま自分がこうして近江商人の作った土地に住んでいることに
不思議な縁を感じます。
土俵が設えてあります。
子どもたちによる奉納相撲があるのでしょうか。
私も子どもの頃、まわしを付けて相撲を取りました。
なつかしいです。
それではよい一日をお過ごしください。