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言葉のちから

心のありか。その1

2018.06.19 09:07



午前中のコンサルを終えて、12時前に急ぎ足で新宿に向かう。



気まぐれに晴れ上がった空からは太陽の日差しが降り注ぎ、



サラリーマンにジャケットを脱ぐことを要求している。



15分ほどでバスタ新宿に到着し、エレベーターを昇る。



急いで歩いたせいか、背中にはじっとりとした汗が滲んでいる。



リュックを片側にずらし、Tシャツをハタハタとさせる。



バスには僕以外にすでに5名が乗っている。



僕は一番前の席を指定される。僕が一番最後だ。



出発場所から、終点のホテルまで、僕は運転手と同じように、



最初から最後までそのバスに乗ることになる。



僕の目的地はそのホテルなのだ。





出発してしばらくの間、いくつかのバス停を経由して、バスは人を乗せていく。



「僕」というバスにも、過去に幾人もの人が乗り、そして降りていった。



ある人は大した関係も築くこともなく。



またある人は軽く挨拶を交わすくらいで。



みんな僕から降りていった。



ある人は僕に人差し指を突き刺して、非難したり、糾弾したりした。



そしてその人たちより「ずっと少ない数の人」と、



僕は親しくなった(少なくとも僕の方はそう感じている)。



でも大半の人は、僕というバスから降りていった。



ある人は自ら降り、またある人は誰かに勧められて降りていった。



彼らのその決断と行動を咎(とが)めることは、僕にはできない。



正しさは人によって違うから。





誰かが乗って、誰かが降りる。



乗っている間に何かを共有できる人もいれば、そうでない人もいる。



もちろん、まだ一緒に乗ってくれている人だっている。



僕はその人に会える日を楽しみにしている。



そして共に過ごせるうちに、できるだけ色々な景色を共有したいと僕は思う。



それは願いにも似た思いかもしれない。





今回の旅に僕は、アーヴィングとモーパッサンを持参した。



アーヴィングの長編を読んでいるうちに、いつの間にか僕は眠りに就く。



目を覚ました頃にはまた一人、乗客が減っている。そういうもんだと僕は思う。



ここは乗るのも、降りるのも、すべて自由なのだ。



僕が自分の自主性を相手に尊重してほしいと願うのと同じくらい、



僕だって相手の自主性を尊重したいと思う。





箱根の峠道をバスは抜けて行く。



ときおり、向こうから車が現れる。



こちらが道を譲ることもあれば、あちらが譲ってくれることもある。



そうやって僕らは、譲ったり譲られたり、



坂を上ったり下ったりして、目的地に到着する。



今回の目的地。「山のホテル」だ。



(つづく)