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丸編み生地製造という職業にたどり着くまで-1-

2018.06.19 09:35

今から15年前、東京に上京したての僕はバリバリのバンドマンだった。

そもそも上京の動機がロックスターになる為だった。

そんな理由で佐渡を出ることを両親は許してくれないだろうと考え服飾専門学校へ進学するという口実で上京した。


離島育ちのど田舎者は東京に揉まれながら専門学校の課程をこなしながらバンド活動を続けていた。

あっという間に卒業の年になり、「就職せねば・・」という負の感情で就職活動をすることになった。


洋裁やパターン、スタイル画など学校の勉強は結構ちゃんとやったので卒業は問題なかった。

が、繊維業界のことを全く調べていなかった為、どこに就職して良いかもわからなかった。

なので、休日がちゃんとあって残業もなくて給料良いところという贅沢な先を探した。

なんせバンドが生活の中心だったのでそちらの活動の邪魔にならない先を探したのだ。


当然そんな都合の良い先が





あった


実態は知らないけれど


和歌山に本社を置く「丸編み生地製造」の会社の東京営業所が「企画営業」という名目で新卒募集していたのだ。


速攻で履歴書を送り、即面接の運びになった。

当時はまだ商談中にタバコが吸えた時代、少しヤニ臭い千駄ヶ谷の事務所に面接に行った。

当時部長だった人に一通りの質問を受け、「最後に自分をアピールしたいことある?」と聞かれたので、「僕、天才なんで(採用した方が良いですよ)」と言ったが、これはどうやらスベったらしい。


面接後、10日ほどたったが連絡がなかったので、最後の一言が余計だったかと後悔していたら電話がなった。


「前向きに検討してるから、また来てよ」



キターーーーーー


そして後日改めて伺い、二次面接の後、専門学校就学中にアルバイトからの勤務が許された。


正直、どんな会社か知らなかったので、そもそも「丸編み生地製造」とか、どちらでもよかった。

が、お金をいただく以上はそんなわけにはいかない。


アルバイト時代はとにかく山積みになって処理できなくなっていたサンプル生地の反物をひたすらハンガーにした。


↑このように生地サンプルをハンガーにしてお客さんに渡すためにひたすら反物をカットし続けた。

そうこうしているうちに、生地の組織をなんとなく覚えていくようになる。


あっという間に、学校の卒業式が過ぎ、晴れて正社員になれ

部長「じゃあここから試用期間ね」

僕の心(うぉい!)

晴れて僕は4月から3ヶ月の試用期間に突入したのである。


試用期間中に和歌山本社工場に行き、工場現場で作業員をしながら生地の編まれていく工程を勉強した。

前職のHPより拝借


この大量の糸を機械に繋いだり、機械や地面に溜まった綿ぼこりを掃除したり。

機械は結構大きい音を立てて動くので、元々声が聞き取りにくい現場の職長さんの声はほとんど聞こえなかったが、熱心に指導してくれた。(聞こえなかったので何度も同じ質問したことで理解が深まった)

1週間ちょっとくらい現場にいただけだが、生地の密度を決める糸長を調べることができるようになった。(この作業ができたのは東京営業所のスタッフで僕1人だった)


続く