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「宇田川源流」【日本万歳!】 日本人のすばらしさは「いつでもどこでも風流持つこと」

2023.05.28 22:00

「宇田川源流」【日本万歳!】 日本人のすばらしさは「いつでもどこでも風流持つこと」

 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや、日本人がまだ気づいていない意外な良いところを紹介している記事を、ここで改めて紹介し、そのうえで、この内容に関して「何が素晴らしいのか」ということをしっかりと見てゆくということになる。毎週月曜日というのは、日本人のすばらしさを最も感じる必要があるのが、毎週の仕事始めの月曜日であり、その月曜日にこれから一週間が始まるというところでその一週間に関して様々なことを見てゆかなければならないということではないか。その内容を、改めて我々がしっかりと見てゆくということが重要なのではないかという気がするんのである。

さて、今回は「日本人は何故素晴らしいといわれるのか」ということの原点に、少しだけ迫ってみたいと思う。日本の技術のすばらしさは「コンパクト」「大容量」「独自性」というだけではなく、「風流」ということが入る。遊び心ということとは異なり、その風流神を常に忘れない、効率ばかりではないということが、日本の技術のすばらしさではないかと、私はいつも思っている。ある意味で「無駄こそ、日本のすばらしさの象徴であり芸術的な日本人の心のすばらしさである」ということを私は主張している。

日本のホンダがCVCCエンジンを、そして、セイコーが液晶時計(クオーツ)を、そして、ソニーがトランジスタラジオを、いずれも作り出した。これは全て「コンパクト」ということだけではなく、そこに「独自性」と「有用性」をしっかりと付け加え、そして「実用的」であるということが日本のすばらしさになっている。同時に、これ等の内容は、その技術が素晴らしいだけではなく、必ず、その先に「エンターテイメント性」を持って発展しているということになっているのが日本の特徴ではないか。

例えばトランジスタラジオで言えば、それが車の中に入りカーステレオというように進化する。車の中にラジオが入り、そして小型化することでより一層様々な場所でラジオを聴くことができるようになる。このような「風流につながる実用性のある技術」が日本のすばらしさの原点なのである。

日本人が本気出したらヤバい…! どうしてここに作ったの? 職人の技術とこだわりが爆発しすぎた日本庭園が話題に

 なんとも“意外な場所”に作られた日本庭園がSNSに投稿され、話題を集めている。

 荘厳な雰囲気を纏う荒々しい“動”の岩と、静謐(せいひつ)な時間を感じさせる緑を配置しながら、そこに涼やかな水の音が聞こえてくるという本格的な日本庭園。一見、由緒正しき旧家の庭先でも映したかのようなこの動画だが、なんと、撮影されたのは軽トラックの荷台。

 というのも、この本格的な日本庭園が作られたのは、実は軽トラックの荷台なのだ。この動画を公開したのは、富山市観光協会。動画の中で紹介されている“軽トラ庭園”は、富山駅前広場に展示された「軽トラ庭園コンテスト」に応募された作品の1つなのだという。そんなコンテストがあること自体が驚きだという人も少なくないだろうが、さらに驚くべきはそのサイズ感と完成度。縦2メートル、横1.4メートルという、庭園としては小さな“敷地”の中に、職人たちがその技術の粋を詰め込む形で作り上げた作品なのだという。

 投稿動画も既に30万回以上再生され、「何これめちゃくちゃいい!」「一応日本人だけどこんなん知らんかった」「これ絶対海外でウケるわ」「日本人の発想がヤバすぎる」 「造園業の方がこれで営業行ったら捗りそう。」「このまま車検って通せますか!?」「軽トラという現実・動と庭園という理想・静が一体となってて、見る者を不思議な気持ちにさせてくれますね。もう、全ての作品が見たいです」「五七五のルールの中で情景を伝える俳句のように、何故かその縛りがあることで、無秩序であるよりもたまらなく風情を感じる。」といった様々な反響が寄せられているこの“軽トラ庭園”。富山県が発祥となる形で、全国へと広がっているというだけに、今後も日本各地で様々な作品が登場することに期待したい。

(ABEMA『週刊BUZZ動画』)

2023年5月22日 11時50分 ABEMA TIMES

https://news.livedoor.com/article/detail/24280830/

 バブル経済崩壊後、失われた30年と言われたのはいったい何だったのか。今もその不景気風の中にいるのであるが、残念ながら私は「日本人が風流神を忘れたことが理由」であると考えている。経営がうまくゆかなくなった企業が「効率化」を目指し、そのことから、ん無駄であったり新たな開発費などを大幅に削減してしまう。その時点で、日本人の中の心の余裕がなくなり、エコノミックアニマルに落ちてしまうのである。それは「日本人のすばらしさを自ら手放して捨ててしまった」ということになるのではないか。

「無駄」が「付加価値」に繋がり、その付加価値が新たな需要を生むという経済循環があるの中で、その経済循環を自らたち切ってしまう日本企業と、その事をまじめにやる日本人の勤勉さ、そして、その内容を買収するハゲタカファンドということが最もおかしな状況を生み出しているような気がする。現在もそのような内容が少なくないところが大きな問題であろう。

そのような中、「軽トラ庭園コンテスト」成コンテストが富山で行われた。まさに軽トラックの荷台に日本庭園を造るということであり、まさに「無駄」と「風流」の結晶でしかない。同時に、その「無駄」と「風流」は、日本人の心をうまく映し出すのと同時に、その小さい世界観の中において、日本人の技術の粋を集めているということが言えるのではないか。世界各国於どこに、「ミニチュア」の日本庭園を、それも軽トラックの荷台に作ろうと思うであろうか。実際に速く走れば崩れてしまうかもしれないし、ずっとそこにおいておくわけにもいかない。庭園としてみることはできても、トラックとして活用することはできない。しかいs、そのトラックは様々な場所に移動し、人々の目と心を潤すことができる。経済的な価値ではないすばらしさを作り出すことができるのではないか。

「軽トラという現実・動と庭園という理想・静が一体となってて、見る者を不思議な気持ちにさせてくれますね。もう、全ての作品が見たいです」<上記より抜粋>

まさに、このようなことを考えられる、単純に無駄と切り捨ててしまうのではないという日本人の「見る側の心の余裕」も素晴らしいのではないか。

まだまだ、日本人の心は死んでいない。そして、この心が日本を必ず復興させることができるのであると、私はそのように確信している。