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とあるノベルゲーム好きな天道虫

パブロフの犬

2018.06.19 14:12


 小学校の頃、私たちにはテリトリーがあった。

 どこどこまでは外で遊んでいい場所があったのだ。逆を言えば、ある一定の境界から先は遊んではいけないという暗黙の了解があったとも言える。


 この大きな道路の向こう側に渡って遊んではいけない。

 この橋から先に進んで遊んではいけない。

 この駅の反対側に行って遊んではいけない。


 特に誰が決めたルールでもない。

 その境界より先は遠いから行くと門限まで帰れなくなる。他の小学校の生徒がいるから気まずい。行ったことがないから迷子になってしまう。

 きっと深く考えた訳でもなく、本能的に感じとってたことなのだろう。


 それでも小学生の私にとっては、その境界から先は異世界であった。

 一度入ったら戻ってこれない恐怖があった。

 

 

 そんな私もやがて中学生になり高校生になった。

 高校に通うために乗り込んでいる駅の反対側は境界線ではなくなった。

 境界が消えたのは、きっと私が大人に近づいたからだろう。もしくは電車に乗って遠くへ行くことが増えたからか。あの恐怖を感じていた境界は、怖がりな子供ならでは錯覚だったのかもしれない。

 

 今日、久しぶりに小学校の友達に会い、懐かしい場所を共に散歩した。

 高校生になると通学の為に駅の方に来ることはあっても、あの境界があった橋や道路に近づくことはなくなった。もう外で遊ぶ歳でもないのだから当たり前だけど。

 

 歩いていると嫌でも自分たちの身体の成長が分かる。


 小学校の校庭は小さくなってきた。

 ジャングルジムのてっぺんには手が届く。

 大人の歩幅だとかつて行くだけでも時間がかかった場所にも余裕で着いてしまう。


 しかしあの境界線はまだ存在した。

 境界線の橋をどうしても意識してしまった。

 私はもう小学生じゃない。もっと遠い場所へバスや電車で何度も行ってる。もし道が分からなくなってもスマホで調べればいい。なんとでもなる。

 それでも境界線の先に進むことができなかった。違和感と少しばかりの恐怖があった。


 友人も同じだったようで、結局私たちは成長しても境界線を踏み越えることが出来ずに引き返した。


 なんてことはない。

 私もまたパブロフの犬だったのだ。


 私のテリトリーは広がっただけで、心は未だにテリトリーの外へは出ちゃいけないと、思ってしまうのだ。