孤高に生きる、群れの中に生きる。
生き物は魚類、鳥類、哺乳類、草木類も含めて単独か群れになるかに分かれるようだ。
塊、群れで生きるのが多勢だが単独で生きてるものがある。
広い海原を回遊してる亀、空飛ぶ鷹、深い森に住む虎。
干支12支の動物では寅、兎、蛇は群れないし、干支に入ってない熊、カモシカ、隼、鷺これらも群れない。これらに共通してるのは鳴かないということ。鳴いても可愛くない。少なくともウサギや蛇の鳴き声を聞いた人はいないだろう。
熊や虎の鳴き声を聴いたら獲物は逃げ去るし、ウサギやネズミの鳴き声に狐や猫が寄って来る。鳴いては生き残れないのである。
弱い生き物は塊になって生きている。
鰯や雀そして鼠。
食べられても襲われても種の継続が途切れないよう大量の卵を産み落とし、また頻繁に出産して生き残りの戦術としている。
塊や群れで生きてるものは絶滅危惧種にならない。
私個人的には蛇や鼠は絶滅危惧種になった方が良かったりして。
強い生き物は単独で生きている。虎、熊、鷹。強くなくっても結構単独に生きてるのが山羊や
コアラ、ナマケモノ。
これら強弱者に共通するのは外敵が近寄れないところに住んでる。
植物の中にも塊、群れと単独に生えてるのがある。
楢や樫のように夥しいどんぐりをばら撒き
野山を席巻して他のものに席を与えない傍若無人の様だが動物たちの餌になり豊穣の森になる。
一方で栃木や栗の様に山中に点々と生えてるきもある。これらに共通してるのは苦い、渋い、エゴいという食味があり誰でも食べられるものでない。
私の推測だがこのような植物を食する生き物は渋味、苦味を避ける為、丸呑してるのだろう。
その中の不消化の実が発芽するのだと思う。
犯人を探せば植物博士になれそうだ。栃木の実の苦味はこの世のものとは思えないほどだ。
渋味、苦味、エゴ味などアクの強い味で過密にならない生き残りの戦術なのだろう。
人間社会をみても集団の中で活躍する人、単独で行動する人とある。スポーツに団体、個人、と区別があるのは競技者の適性が現れてる。職業も集団の組織で活躍する人、個々の生き方を追い求める人がある。
拠らば大樹の元。赤信号みんなで渡れば怖くない。
ギリシャという国は公的資金、年金、行政の公務員やそれに準ずる職業に係わる国民が50パーセントを超えて国家破綻した。ギリシャのメイン産業は公務員で次は古代の遺跡回りの観光産業である。
そんな国でも多くの人が群れてればそれが正義となり群れの中いればどこか安心なのだ。
夥しくばら撒かれる楢や樫のどんぐりは発芽しても強いものだけが生き延びるのであってほとんどが枯れて強者の肥料になる。鰯も鼠も果ては人間も同様である。
知的な生き物の人間だって弱肉強食の自然の摂理から無縁ではない。生き残りは難しい。
孤高に生きる、群れの中に生きる。自然界の生き物は私たちにいろいろなことを教えてくれる。
静かに周囲の自然を観察すると人間の生態と良く似てるのに気が付く。そこに生き残りの教訓がある。
野良ちゃんのお子様、何故かこの子は我が家の家族になった。