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Dr.Mami

涙を流すために帰る場所:交響曲である人生という音楽を全うするということ

2018.06.20 00:52

今朝は目覚めると

浄化の雨が降り注いでいて

母が咳き込んでいるので

その隣にりんちゃんと一緒に横たわって

レイキをしながら添い寝した。


当然だけど

その体は暖かくて柔らかくて

呼吸をしている

生きている人の体だった。


タクミさんが息を引き取ったあと

同じように胸に手を当てながら

一晩、隣で添い寝した。


死んでしまったのに

まだほんのり暖かくて

もしかしたら

いきなり息を吹き返すんじゃないかと

期待しながらさすってみる。

けれども

その体はどんどん冷たく

そして硬くなっていった。


言葉では表せない

深い深い絶望と悲しみの底にいた。




最近わたしは

よく実家に帰る。


昨日気づいたけど

わたしは泣くために

帰っているのかもしれない。


もちろん両親は

私が泣いていることは
知らないとは思うけど

これ読んだらわかっちゃうね。


きっと

人生経験を全うするために

帰っているのかもしれない。



本当は辛い時、苦しい時、

本当は助けてほしかった。


大切なものを、人を失った時、

本当は悲しくて泣きたかった。


大切なものを壊され、奪われた時、

本当は怒りたかった。


大切なものを与えられられた時、

本当は素直に喜びたかった。



でも

その時

そうできない時もある。


16歳の私は

言葉も文化もわからない異国の地で

虐待やら摂食障害を経験しながら

泣くこともせず、怒りもせず、

誰にも助けを求めれなかった。


そうやって

いつも我慢している

母親を見て育ってきているし、


お姉ちゃんだから、

奨学生だから、

お母さんを喜ばせたいから、

お父さんを心配させたくないから、



愛されるために

認められるために

褒められるために


正直な湧いていた気持ちには蓋にして、

むしろ活動的怠惰の

凄まじき活動の源のエネルギーへと


一生懸命頑張ってきたんだ。


本当にしたかったことを

本当に湧き上がっていた感情を

一時停止のままで

未完了のままで

私の中に

ずっと抱えてきたままだった。


頭でわかったり

理解したつもりじゃ

意味なかったね。



ソウルメイトは 
魂で決めて来たことを 
全うさせてくれる機会を 
分かち合いする仲間。 


甘え直し


悲しみ直し


怒り直し


許し直し


喜び直し


感謝し直し



未完了のままの音楽が

まるでようやく再生し始めた。


どんな親でも

どんなことがあっても

やっぱりそこには

愛が根底にある。


そもそも

愛されていたんだよね。


愛されていないのではと

愛されないといけないと

思い込んでいただけなんだよね。


看取り映画を見て 

涙するのは 

看取り直しできた

悲しみ直し、許し直し、

怒り直し、感謝し直せる

喜びの涙もそこにある。



そもそも
その死に行く人のいのちは
究極の愛を教えてくれる。



そこに立って

人のいのちを

人の人生を見直してみると

忘れていた大切なことを

きっと思い出す。



人生は音楽のように 

自然と奏でられている。 


交響曲のように 

沢山のパートや 

ハーモニーや 

コード展開がある。 


 今日の天気も 

出会った人も 

今いる場所も 

みんな一緒に 

その音楽を奏でてる。 


だから 

解決するのでなく 

ただ、全うするだけ。


甘えられなかった

16歳の私にはもう戻れない。


死んだ人は

もう生き返らない。


でも

その時生じた不協和音や緊張は

次にやってくるコードやメロディを

より引き立て、そして

なによりも美しい交響曲を創造する。


指揮者も作曲者も 

全部自分♪(*´꒳`*) 


 魂交響曲♪( ´θ`)ノ



「受容」は良好な状態、またはすでに起こったことに対して問題なしとする態度と混同されることが多いが、実はそうではない。愛する人を失って「よし」と感じたり「問題なし」と感じる人などいるはずがないではないか。

悲嘆のこの段階は、愛する人が肉体的な生命を失ったという現実を受け入れ、その新しい現実が今後永久に続く現実であることを認める段階である。それは絶対に好ましい現実でもなければ「問題なし」とする現実でもないが、われわれは最終的にそれを受け入れる。そしてその現実とともに生きることを学習する。生きるために身につけなければならない、それが新しい規範となる。そこに我々の最終的な治癒が存在するのだ。治癒など得られるはずがないと見え、そう感じられるにもかかわらず調整は確実に行われるのである。(途中略)
治癒が生じるにつれて、われわれは自分がどんな人間なのか、愛する人がどんな人間だったのかを学ぶようになる。悲嘆のプロセスをつうじて、治癒は奇妙な方法でわれわれを、いまは亡き愛する人へを近づけてくれる亡き人との新しい関係が始まる。われわれは亡きひととともに生きることを学習する。引き裂かれていた意味の破片を集めてもとに戻す、再統合のプロセスが始まるのだ。(途中略)
受容とは人生経験のプロセスのひとつであり、最終目標でもなければ、最終段階でもないのである。
われわれは再び生きる始める。だがそれは、悲しみをじゅうぶんに味わってはじめて出来ることなのだ。

エリザベス・キューブラー・ロス&デーヴィッド・ケスラー「永遠の別れ 悲しみを癒す知恵の書」




わたしの好きな シンフォニーのひとつ。 

 チャイコフスキー作曲 交響曲第6番 悲愴 

悲しければ悲しいほど 美しいハーモニーが 展開される。


私は第4楽章が一番好きだな。


そんなハーモニーを全身で味わう瞬間は

まさに癒しのデリシャスモーメント♪


では❤️

心より愛と希望と感謝の気持ちを込めて。


  *・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。. .。.:**・゚゚・*:.。 

 ❤ ~~Thank you (*´∇`)ノ。゜:.・❤

 ゚ *・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。. .。.:**・゚゚・*:.。 


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