ZIPANG-7 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その53)福島の姥神たち・猪苗代湖周辺に祀られた姥神【寄稿文】 廣谷知行
関脇の優婆夷の文字とは
奥に磐梯山を望む猪苗代湖
その51で紹介した福島県猪苗代町の関脇の優婆夷堂は、多くの人がその霊験を求めて参拝した場所です。ここでは姥堂ではなく優婆夷堂とされ、「うば」の字に「優婆夷」が当てられています。
仏教において普段の生活をそのまましながら仏道に帰依した人を、男性は「優婆塞」(うばそく)、女性は「優婆夷」(うばい)と呼んでいました。この女性を示す言葉を関脇では姥神に当てて使うようになったと思われます。
この関脇と同じく猪苗代湖の周囲に同じように祀られた姥神がありますので、紹介したいと思います。
中山宿の熊野神社
熊野神社の優婆夷尊石碑
熊野神社の石碑に彫られた姥神
郡山市熱海町にある熊野神社に、優婆夷尊の石碑があります。石碑には「安産清浄 聖優婆夷尊 児童福祉」のほか、「生まれ出る子に幸あれと諸人に あいの恵みを垂るるうば神」の言葉と共に姥神の姿が彫られています。
ここは、会津藩と二本松藩をつなぐ街道の中山宿として栄えた場所で、郡山市方面から関脇の優婆夷堂へ向かう通り道となっています。おそらく関脇の優婆夷堂詣での記念に、その霊験をたたえるため建立されたのだと思われます。
猪苗代町の金曲おんばさま
猪苗代町金曲おんばさま
金曲おんばさま入口
関脇の優婆夷堂の近く、長瀬川のほとりに「金曲おんばさま」と呼ばれ親しまれている堂があります。ここも関脇と同じく「優婆夷霊」の字が当てられており、その姿も非公開で秘仏となっていますので、分霊したものなのかもしれません。関脇と同じような祀り方ですので、本尊-姥神型と言えます。
猪苗代町木地小屋の姥堂
猪苗代町木地小屋の姥堂
関脇から北、若宮に木地小屋の姥堂があり、地域の方々が「おんばさま」と呼んで祀っています。ここもその姿は非公開であり、関脇と同じ本尊-姥神型と言えます。
磐梯町法正尻の姥明神
磐梯町法正尻の姥明神
磐梯町の法正尻地区に姥明神の堂があり、地域の方々が祀っています。ここでもその姿は非公開であり本尊-姥神型と言えます。
今回紹介したもののほか、その29で紹介しました慧日寺前と掘切の橋姫神社も、関脇の優婆夷堂と同じような祀り方で猪苗代湖周辺にあります。
この祀り方はその13、14で紹介した新潟の出湯温泉のものとその信仰形態が似ていますので、出湯温泉のものが関脇に伝わり、その後近隣の集落に分散していったのではないかと予想しています。
続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
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発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
飯豊山にある姥神像
飯豊山頂手前にある姥神像
飯豊山の頂上近く、御秘所と呼ばれる場所に姥神像があります。頂上の手前にあるため、境界-姥神型として祀られており、また御秘所は湯殿山の御神体の場所の呼び名のひとつでもあるため、飯豊山も湯殿山を模したのではないかと思われます。
なお、この姥神はある女性が女人禁制の飯豊山に参拝しようとして石になった伝承もあります。さらにその女性は3姉妹であり、それぞれが別の場所で石になったとともされ、飯豊山の姥神像は長女とのこと。
この女性が女人禁制の地に入り、石になったという伝承は全国で見られ、姥神像とは限らず、普通の石や岩などが祀られています。これは姥神信仰の中心と考えられる立山にもあります。
ZIPANG-7 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その51)福島の姥神たち 飯豊山の姥神姉妹【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/42323589
宇治橋のそばに置かれた「紫式部」の像
その歴史は古く、平安時代前期の古今和歌集には、「さ筵に 衣片敷き 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫」の歌があります。また、源氏物語にも、「橋姫の 心をくみて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞぬれぬる」との歌があり、これにちなんで宇治橋のそばに紫式部の像が置かれています。
ZIPANG-5 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その29)~ 橋場のばんば様(後編) ~【寄稿文】 廣谷知行
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/17911798
羽黒地区の優婆堂
幕の下ろされた厨子に祀られています
この出湯温泉の羽黒地区に優婆堂があり、現在も信仰を集めています。中にある姥神像は基本的に秘仏であり、常には公開していません。しかし毎月20日にご祈祷するときに公開しています。特に安産にご利益があるとされ、この堂から少し先にある高徳寺が堂の管理をしています。
ZIPANG-4 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その13)新潟五頭山麓 羽黒地区『優婆堂』優婆尊縁起によると…【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7504639
いせやに祀られている姥神像
出湯温泉の姥神信仰の広がり
この他地域の状況を見ると、出湯温泉、羽黒地区の優婆堂、華報寺の信仰からの広がりが広範囲にあったことが伺え、前回書いた、出湯温泉の姥神信仰が広く知られていたことがさらに裏付けられます。
小国町は新潟県に近いので、その環境のため山形の湯殿山系ではなく出湯温泉の姥神信仰が伝わったと考えられます。
埼玉県のいせやの創業は昭和10年であり、このとき勧請したことになるため、かなり最近まで出湯温泉の姥神信仰は盛んだったと言えます。
参考文献 鹿間廣治「奪衣婆 山形のうば神」、東北出版企画、二〇一三年
ZIPANG-4 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その14)新潟五頭山麓 羽黒地区 「出湯温泉の姥神信仰とは」…【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7661203
「ある日、あの場所」
■主催者のコメント
2011年のあの日、 福島第一原子力発電所の事故で避難を余儀なくされた南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、飯舘村、川俣町、葛尾村、田村市、川内村の 12の市町村. 10年間で様々な課題を抱えながら、それでも着実に歩みを進めているその12市町村の現状や取り組みを県内外の方に広く知ってもらうため、展示会を開催します。
2021年は東日本大震災から10年の節目と捉えられることが多いですが、震災や原子力災害から立ち上がる「まち」や「ひと」にとっては、これまでも、これからも続いていく時間の一部にすぎません。
地震や津波でも甚大な被害を受けました. 10年間でインフラなどハード面の整備が着実に進んできている地域がある一方、いまだ帰還困難区域に指定されている地域では、許可なしには住み慣れたふるさとに立ち入ることもできず、津波の被害が10年間そのままにされているところもあります。
急速に進んだ過疎や高齢化という点だけに着目すると、原子力発電所の事故という外的要因によって強制的に事態が深刻化した現実に対して大なり小なりあるにせよ、事故がなくてもいずれ直面する未来だったかもしれないし、もしくは原子力発電所の建設によって先送りにしていた過去の課題といま対峙しているのかもしれません。
復興の段階や抱えている課題は12市町村で様々です。今の状況は、復興した、と言えるでしょうか. そうでなければどうなったら復興、と言えるでしょうか。
今回の展示だけでは、原発事故により複雑化した特有の困難さや、それを乗り越えようとする人々の営みのほんの一部しか伝えられないかもしれません. それでも、誰かにとって、ほんの一部でも知るきっかけ、考えるきっかけとなることを願っています。
主催 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター相双地域支援サテライト
ZIPANG-6 TOKIO 2020 ~ 東日本大震災から10年 ~「ある日、あの場所」
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/24341635
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ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
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ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
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ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
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ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
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ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
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615件ほどの掲載記事をご覧いただけます。