「奪う」と「与える」は紙一重
ひとはおおむね、相手から奪うことばかりを
考えています。
これが現実視点だけで生きる世界です。
自分には”無い” の世界を生きてる状態です。
それも
主にあなたの一番大事な身近なひとから
奪おうと考えてしまいます。
これは、
可愛く甘えるとか素直に頼るのとは違います。
エネルギーを奪っている状態です。
相手はいつのまにか疲弊したり
あるいは
関係性のバランスが崩れていきます。
ひとはいつだって
もっとこうして欲しい
もっとああであって欲しい
なぜわかってくれないの?
なぜ、どうして、
欲しい欲しいの連発です。
それが通らないと
最初は与えるふりをして
親切にしてみたり
可哀想なふりをして
同情を誘ったり
知らず知らずのうちに
相手をコントロールして
望みのものを貰おうとします。
ワタシノコトヲアイシナサイイウコトヲキキナサイサッシナサイ...
与えるふり、というのは
いいひと、できるひと、
大丈夫そうな、可哀想な、
ものわかりがいい
ひとのフリをすることです。
例えば、
がまんにがまんを重ねて
自分の本音を押し殺し
平気ですよ、このくらい大丈夫です、、と
自分を説得して
一生懸命相手本位にふるまうことです。
そして、
こころの奥底では
「でも、、、こんなにしてあげてるんだから
このくらいしてもらって当たり前だよね。。」
「これだけ我慢しているんだから
こっちの要求ものんでくれるよね?」
「いい加減察してよね、わかるでしょ?」
と、無言の圧力をかけている。
もちろん無意識に、です。
こっちは努力して我慢して
こんなに頑張っているのに、、
多少多めに見てくれていいでしょう。
そろそろ認めてくれていいでしょう。
もっと褒めてくれたっていいじゃないか、と。
嵐のようなこころもちです。
しまいには要求に応えない相手が
憎らしく思えてきて、
わかってくれないなら意地悪してやるーみたいになったりして。。
アレレレレ....
本末転倒です。
わかってほしいだけなのに。
これが、普段現実で起きていることです。
奥底で見返りを求めながら
与えるふりをすることを
相手のエネルギーを「奪う」と言います。
奪いながらも本人は、
あいつのせいでエネルギーを奪われている、と錯覚します。
ジツニヤヤコシ---(-_-;)
一方「与える」とは、
素の自分でいることです。
なんだかんだ言いながら
好きでこうしている、とわかっている
無邪気な状態です。
一見そうはみえなくても
与えている状態です。
いや、、そんな、、でも、、
与えてばかりいたら
こっちのエネルギーが枯れて
身が持たないんじゃないの?!
と、まぁ、こんな風に思うのが普通です。
けれど、もし、
あなたの身近な大事なひとには
できるだけ裏表なく
素の自分を与えていこう
という視点、
魂視点に立つことができたとしたら、、
実は、その視点に立っただけで
もう、相手に与えるということが
始まっています。
天からのエネルギーの通りがいい
フラットな状態が創られます。
自分からこぼれ出た光のエネルギーが
勝手に相手にも流れていく状態です。
奪うと与えるは、紙一重。
エネルギー変換器としてのわたしたちが
どんな状態でいるか、によって
左右されるのです。
大切なひとがいるなら、
気が付いたあなたから先に
試してみるのがコツです。
しかし、
一方通行ではなくて、
大事なひととあなた
お互いが、時間をかけて
やがてその視点に立つことが
やっぱり理想なのだと思います。
いま楽しいです、
困っています、
助けて欲しいです、
これはとても嬉しいです
悲しくてしかたないです、、と
自分の状態を素直に
お互いに伝え合うことです。
一緒に考えることです。
いくらあなたが無邪気に与えている状態でも、
相手によっては伝わらない場合だってあります。
誤解も起こります。
悲しいけれど。
互いのエネルギーバランスが
おおきく崩れると
目に見える形で、知らされます。
そうしてまた、崩れたところから
互いに次のバランスをとっていくか
あるいは、相手を変えて学んでいくか
これは、そのときどきで正解はありません。
まずはできることをやってみよう
困ったらそのとき一緒に考えよう
くらいに気楽に力を抜いていることが
案外いい関係が長持ちする秘訣かもしれません。
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.