それは、「愛しています」の活用形
誰だって、「やれ」と言われてやるのはつまらないから、君がやる気をなくすのもよくわかる。
腹を立てたり、「今やろうと思ってたのに」と拗ねたり、「うるさい!」と反抗したがるのも、ごもっともだ。
でもね、僕ら大人側にだって事情はある。
僕らは、君よりも少しだけ長く生きているから。本当少しだけ、少しだけだけど、君よりも先のことがよく分かる。「ああしとけばよかった」や「こうしとけばよかった」を、君に押しつけるのは筋違いだとはわかっているけど、やっぱり心配なんだ。不安なんだ。
だから、ついついこう言ってしまう。
「勉強しなさい」
君には、僕らよりもずっとずっといい人生を送ってほしいと願っているから。
勉強すれば、学力が上がる。学力が上がれば、選択肢は増えていく。やりたいことがやれて、なりたいものになれる。ねぇ、それってとっても素敵なことだと思うんだけど、君はどうかな。
いっぱいの愛を込めて、君に助言を伝えているつもり。たくさんの願いを詰めて、君へ言葉を渡しているつもり。伝え方が下手くそなのもわかってる。ごめんね、長く生きている癖にね。でも、君が大切であれば大切であるほど、僕らは少し不器用になってしまったりするんだよ。うまくやれない自分に落ち込んだり腹を立てたりしながら、僕らも一生懸命君に何か伝えようとしている。
だけど、信じて。君の幸せを願わない日は、一日だってない。君が生まれてきてくれてよかったって思わない日は、一日だってない。君のことを忘れる日は、一日だってない。君のことを想わない日は、今までだって、これからだって、一日もない。
「勉強しなさい」
「あれは終わったの?」
「なんでできないの?」
「ちゃんとしないと駄目でしょ」
色んな風に形を変えて、君を傷つけてしまう言葉みたいになってしまうけれど、その中に、本当はちゃんと混ざっている。紛れ込んでいる。本当の気持ち。本当に伝えたいこと。本当に大事なこと。
「愛しています」
君がいつどこに居て、何をしていても。
「愛しています」
それが親ってもの。いつかきっと、君もわかる日が来る。その時が来たら、僕たちのことは反面教師にしていいからね。
「愛しています」
嘘じゃないよ。じゃなきゃわざわざうるさく言わないよ。疑われるのは覚悟と承知の上だけど、それだけは真実。信じていいよ。僕らは、君が大好き。
「愛しています」
いつか、ちゃんと、そのまんま届けられるといいな。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
ふと思いついたツイッターから、ふと思いつきました。君のこと大切に思ってなかったら、塾へなんか連れてこないからね。信じてあげて。そして、きっと、その事に気付いた大人たちも変わっていける。