『蘇るサバ缶 震災と希望と人情商店街』
被災した石巻と東京の経堂との絆を描くノンフィクション
『蘇るサバ缶 震災と希望と人情商店街』
(廣済堂出版)
著者は須田泰成さん。
テレビやラジオ、イベントなどのプロデューサーであり、伝説のコメディグループの全貌を著した『モンティパイソン大全』など喜劇に長けたライターとしても活躍なさっています。
また東京都世田谷区「経堂」(きょうどう)の活性化をはかる
「経堂系ドットコム」を運営。
イベント酒場「経堂さばのゆ」の店主でもあります。
実に多彩に活躍されているんですね。
この「蘇るサバ缶~」は、2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災した人々の姿を追うノンフィクション。
テレビでも話題になったのでご存じの方も多いと思います。
危難に遭った宮城県の食品加工メーカー「木の屋石巻水産」と、津波でダメージを受けて中身は大丈夫だったものの汚れて売れなくなったサバの缶詰などを手洗いして販売し、売り上げを義援金に充てた東京の商店街との強い絆を描いた実話です。
石巻市の工場跡地に埋まっていた泥まみれの缶詰を、経堂の商店街の人々が引き受け、ひとつひとつ手洗いをして売るという気が遠のくほど地道な支援活動。
読んでいて涙が止まらなかったという感想が多く寄せられたというのが分かります(T-T)
窮地に追い込まれた宮城県の食品加工メーカー「木の屋石巻水産」に救いの手を差し伸べたのは、遠く離れた東京・経堂(きょうどう)の小さな商店街「経堂農大通り商店街」
須田さんは、水道水がない被災地のかわりに缶詰を経堂へ運び、商店街の人々と洗って販売し、売り上げを義援金にまわすことを計画。
「長屋の助け合い精神」で多くの賛同者を得たものの、「さばのゆ」店頭に運び込まれた缶詰を見て、集まった人々の表情から血の気が失せたそうです。
須田さんは往時を振り返り、こう語ります。
「荷台から降ろされた缶詰は重油にまみれ真っ黒。まとわりついた海水が腐って鼻が曲がりそうでした。しかもその海水が多くの命を奪ったと考えると沈鬱な気持ちになりました。さらに実際に洗っても、汚れがなかなか落ちない。『これはたいへんなことになった……』と思いながら重曹をたっぷり入れたお湯に漬け、黙々と歯ブラシでこすりました」
「『くさい』『街から出ていけ』と非難する意見が聞こえるようになりました。僕ひとりだったら、きっと心が折れていたでしょう。反面『街角を曲がったら、故郷の石巻の香りがした』と泣いて懐かしむ方もいる。そんな声を聞いたり、協力してくれる方々がいたりしたから、続けることができたんです」
「街の人たちと缶詰を洗っていると、マルチ商法や新興宗教の勧誘をする人たちもやってきました。また女性をナンパする目的だけだったり、それこそ詐欺師だったり。お金をだまし取られた人もました。缶詰を洗ってくれる人たちの安全も守るため『善意で集まった人をフィルターにかける』という、したくないこともしなければならなかった。つらかったです。しかしそこを厳しくしないとコミュニティが壊れる。今回の行動ではそういうことも学びましたね」
そうして須田さんの熱意は北海道から沖縄まで全国へと広がり、2011年末までに22万缶を販売。
木の屋石巻水産は存続の危機を乗り越え、2015年9月末、震災から約4年半で震災前の売り上げを復活。
ついに再興に至ったのです。
汚濁した缶詰の洗浄と販売の輪は次第に全国へと広がってゆき、缶にメッセージを添えるなど、いつしか「希望の缶詰」と呼ばれるようになっていきました。
須田さんはこう云います。
「なにかをしてあげたなんていう気持ちはまったくありません。むしろ希望をもらったのは僕たちの方でした。そして、なによりも『日頃のつきあい』、それが一番大事なんだということを痛感しましたね。住民と個人商店が結びつき、ご近所づきあいがある経堂だから手を取り合えたのかもしれません」
今、日本全国で経済が行き詰まっています。
これからの経済活動の形態も変わらざる負えない時代に入ってきている、いわゆる過渡期なのでしょうが、これを乗り切らねば日本国民は疲弊するばかりのような気がしています。
いろんなアイデアとそれを応援する国民だけでなく国の力も相当必要だと思います。
必要なところにみんなで協力しあって、助け合って、この困難を乗り越えていきましょう。
「人生万事塞翁が馬」
すべてに感謝!!