聖なる矛盾した世界を生きている
2018.06.20 23:09
みんな、自分を通してしか世界を見ることはないけれど。
自分が創り出す世界を彩ってくれるのは、他ならぬ、自分とは違う目的を持った他人であり。
他人と言っても、大元は同じなので、それぞれが自分の愛の目的を見出していけば行くほど、世界は豊かになる。
よく、他人には興味がないと言う人が言うけれど、他人に興味がないと言うことは、自分に興味がないと言っていることにもつながる。
けど、他人ばかりに気を取られるのも違う。
やはり、見つめるべきは、自分自身だからね。
他人がいることによって、自分という存在を認識できるのが、この世界。
嬉しかったり、悲しかったり、他人との繋がりは自分を揺り動かす。
他人からのアクションによって、自分がどう感じて、どうリアクションしたいか、が大切。
決して、他人からのアクションは、どのような理由からなのかを考える必要はあまりないのだろうな、と。
ただ、自分自身が過去世にものすごく捉われていて、未来を見出すことが難しかったので、起こる出来事を自分軸で即座に対応するのは難しいのだろうなと思いますが。
でも、振り返ってみると、どんなに辛いときも、私は1人ではなかった。
1人では何も進めなかった。
背中を押してくれる誰かがいたから、ここにいる。
でも、結局、背中を押してもらう状況を呼ぶのも自分自身だし、結局、自分自身で世界を回している事なんだよね。
たいてい、今までは、自分で創り出した事に怯え、苦しんで、悶えてた。
そんなことより、
自分で創り出した事に歓喜し、喜んで、楽しむ方が良くない?
この世は聖なる矛盾した世界だから、本当は、いかようにも変えられる。
今は、滅多にない、新しく生まれ変わっていけるときですよ。