Kanちゃんのお話/Story about Kan chan
うちは。服を売っているのだけど。
立ち上げてから暫くして気付いたのは。
服を通して哲学(この場合考え方、生き方)を伝えているBrandなんだと気付いた。
そもそも今の日本人には”哲学”自体が馴染みがないが。
哲学の父ルソー(フランスで活躍した哲学者https://www.philosophyguides.org/fastphilosophy/rousseau/)
の居たフランスでは週3時間哲学の授業が有り”人とは””幸せとは””どう生きるのか”
についてDiscussを行う。=人格養成を学校で行っている。
さて。
前回沖縄のNatsukoさんの話を書いたのだが。今回は関西のkanちゃん。
彼女とは直接では無いがお仕事で関わらせて頂きmailのやり取りを少し以前からしていた。
最近、直接お会いする機会を頂いた。
アイドルみたいに可愛くて。samrtで、仕事も出来て見た目はなーーーーんの悩みもないであろう、そんな女性。
ただお会いして直ぐに気付いたのは”異様な腰の低さ”と謙虚を越して”極度の自己否定感”(日本の”謙譲が美徳”とされる中、それが行き過ぎちゃってそうなってる女性がとても多い)
同じ時間を過ごす中ちょっとずつ彼女が自分の事を話してくれて。
私は15歳から36歳まで明るい摂食障害(過食、嘔吐)だったのだが彼女も同じ(明るいかは解らないが)摂食障害だったり。
その原因はやはり生きてきた環境に有ったり。
私は過食に苦しんで無かったと言ったら嘘になる。それこそ20代後半まで過食に支配されていた所は否めない。食べ始めると吐き出すまでがone setだから止まらないのだ。
ただ。医療に居た為か苦しみながらも”疾患はその人の個性”とも捉えていた。
乙武さんの様に四肢がないのは欠陥ではなく”一個性” 今でこそ認識されているADHDも”欠陥ではなく一個性” そもそも”完璧”とか”正常”の定義なんてないのだから。
彼女の中の原因は”自分がしっかりしなきゃ””自分が家族を支えなきゃ”というストレスが関与していた。
彼女は話してくれた。
”うちは実は裕福ではなくて。15歳から家計を助ける為に働いていて。妹の学費も私が払っていた。” ”でも親が悪いわけじゃなくて一所懸命働いても働いてもお金が十分ではなくて”
つまり”貧困の負のスパイラル”
だから優しい彼女は全てを自分で背負い込んでそのはけ口が過食となって現れた。
”はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る”
と石川啄木は明治に詠んだがが今なお現在に通じる。そう、通じるのだ。
こんなに物が溢れて食べ物も服も何もかも過剰に廃棄される中、必要な所には届かないのだ.
彼女の話を聞いて私は泣きたくなった。
なぜなら彼女は世界に向かって叫びたいくらい聡明で立派な女性だから。
小さな体で沢山の事を抱えて吐き出せずそれでも前を向いて歩く。
そしてそんな彼女が言った。
”私Takako さんの服が欲しいんです。憧れなんです。世界のTakakoなんです”
言葉が無かった。
そうなのだ。まだ世界のtakakoでもなんでも無いけど。
彼女がそう思ってくれるならそうなろう。世界まで行こう。そうしたら
彼女の希望にもっとなれるはず。
そして。憧れが崩れてしまわないよう、もっともっと素敵なものをCreateしよう。
彼女達が自分の美しさに気付ける服を、自分は特別なんだと認識できる服を、そして
自分はありのままの自分で十分なんだと、自分らしく居て良いんだと胸を張れる服を提供するBrandで在ろう。
私が提供する服は”人生を変える”そんなドレス。
そして”人と人を繋ぐDress"
私とKanちゃんを繋いでくれたのも私の作る服達。
Kanちゃん、貴女に捧げます。
I am proud of you. You are just Amazing.
Love
Takako
http://takakobh.com/