問うということ
こんにちは、
精神科医の諸藤えみりです。
今日は
「1日3分でいいから、
寝る前に自分は
どうしたいのかを考える。」
という話をします。
人生に問いは必要。
でも、人は問いを持たない。
なぜ考えないのか。
日々に忙殺されている方が
楽だからです。
わたしの周りの60歳を終えた方々は
「人生は儚い。」
「気づいたらこんな年齢だった。」
と、口を揃えて言います。
よくよく話を聞くと
「自分の人生をどうしたいか
考えたことがない。」
とも言われます。
若いときは
仕事や子育てで忙しかった。
日々のことをこなすことで
精一杯。
今後どう生きたいかなんて
考える余裕なんてなかった。
それが当たり前だと思っていた。
気づいたら60歳を超えていた。
と、言われていました。
「流されている方が楽だから
考えないのだろな。」
ともわたしは思います。
考えない方が
何となくで生きられます。
自分の人生に向き合いません。
しかし、
それだと
目の前のことを処理するだけの
人生になってしまいます。
日々の業務をこなして終わり。
目の前の問題を解決することに
フォーカスするのではなく、
これから自分は
どうしたいかを考えましょう。
そのためには
「問い」
が必要です。
寝る前の3分でもいいので、
「わたしはどうしたい?」
と問いかけることが大切です。
すぐに答えが出なくてもいいんです。
「問う。」
という工程が重要なので。
しばらくして
「あ!」と
なるかもしれませんしね。
「わたしこうしたい。
こうなりたい。」
という明確な望みを考える。
何となくでは
自分の望むところに
たどり着きません。
外来でも
わたしは問います。
たとえば、
患者さんが
今の職場が嫌だと言ったとします。
転職も視野に入れているようです。
わたしは質問します。
「どんな職場に
転職したいのですか?」
意外と答えられない人が多いです。
どんな職場がいいのか
分からないのに、
転職なんてできません。
何となく探して
何となく良さそうなところに
転職するのもいいですが、
「こういうところに行きたい。」
を考えてからのほうが
いいです。
なぜなら、
自分の望みを知ったうえで探すと
目に入る情報が
変わってくるからです。
(何となくだと
スルーしちゃうんですよね~。)
問うということ。
それは
自分を掘り下げるということ。
望みを明らかにすること。