マティス展@東京都美術館へ①
17周年感謝祭 Day 2 は、VIP席のみなさんとマティス展へ行って参りました。前日は23時にお開きだったのに、10時集合です。こちらの球体の前で待ち合わせとなりました。
もちろんこの球体の中に映っています。
私はもちろんマティスTを着ていきました。そして習慣どおり、音声ガイドをつけて入りました。総勢6名で行きましたが、すぐバラバラになりました。(笑)
みなさん、マティスのことをどれくらいご存知ですか?
アンリー・マティスがどのような人か?ChatGPTに聞いてみました。
マティス略歴:
アンリー・マティス(Henri Matisse)は、20世紀初頭のフランスを代表する画家・彫刻家の一人でした。1869年12月31日にフランスのル・カトー=カンブレジュ(Le Cateau-Cambrésis)で生まれました。彼は美術教育を受ける前に法律を学ぶためにパリに移りましたが、後に美術に専念することを決意し、1891年にパリのエコール・デ・ボザール(École des Beaux-Arts)で学び始めました。
初期の作品では印象派の影響を受けた風景画や静物画を制作していましたが、やがてポール・セザンヌやヴァン・ゴッホの作品に触れ、それらの影響を受けて新しいスタイルを模索し始めました。彼は特に色彩や形態の表現において自己の感情や視覚的な印象を重視し、それまでの伝統的な絵画の枠組みを超えた表現を追求しました。
1905年には「野獣派」として知られるグループ展に参加し、その後もフランス美術界で重要な役割を果たしました。彼の作品は大胆な色使いと形の単純化に特徴があり、しばしば大胆な対比や装飾的な要素を取り入れました。
マティスは様々なジャンルの作品を制作し、絵画のほかにも彫刻や版画、カラージュ(切り貼り)などにも取り組みました。彼の代表作には「青い肘掛け椅子」や「舞踏」、「赤い魚」などがあります。
晩年には健康上の問題に直面し、身体的な制約があっても制作を続けました。1954年にフランスのニースで亡くなりましたが、彼の芸術的な遺産は現代美術に多大な影響を与え続けています。ヘンリー・マティスは、芸術史上最も重要な画家の一人と見なされています。
◎野獣派とは?
野獣派の画家たちは、自然界の色彩を忠実に再現することよりも、自己の感情や表現を優先しました。絵画や彫刻において、形態を簡略化し、平面的な表現を追求しました。この運動は、形態や現実性に対する伝統的な制約を打破し、感情的な表現や色彩の力を強調することを目指しました。
「野獣派(Fauvism)」という用語は、1905年の展覧会での一連の作品の色彩的な野生さに由来しており、批評家ルイ・ヴォーキエ(Louis Vauxcelles)が作品を見て「野獣のようだ」と評したことに由来しています。
野獣派は、後の抽象表現主義や現代美術の発展に大きな影響を与えました。その色彩的な大胆さと表現の自由さは、芸術家たちに新たな視点と創造性をもたらし、近代美術の潮流を刷新する一助となりました。
明日のメルマガの準備があるので、今日はマティスの解説までとさせていただきます。