🍀 牧野 富太郎 氏 ( 植物学者 )
住本 有記のEnglish のwebsite です。
🍀 NHK 連続テレビ小説『らんまん』の主人公。
[ 好きなもののため、夢のため、一途に情熱的に突き進んでいく!
春らんまんの明治の世を舞台に、植物学者・槙野万太郎の大冒険を
お届けします。植物学者・牧野富太郎の人生をモデルとした
オリジナルストーリー ]
🍀 Wikipedia ( 省略あり ) によると、
日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。
「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し、
命名も行った近代植物分類学の権威である。
その研究成果は50万点もの標本や観察記録、
そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。
旧制小学校中退でありながら理学博士の学位を取得した。
誕生日である4月24日は「植物学の日」に制定された。
1957年に、94歳で亡くなる直前まで、
日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製した。
個人的に所蔵していた分だけでも40万枚に及び、
命名植物は1,500種類を超える。
野生植物だけでなく、野菜や花卉なども含まれ、
身近にある植物すべてが研究対象となっていたことが、
「日本植物学の父」と言われる所以である。
小学校を2年で中退し、好きな植物採集に明け暮れる生活を
送るようになる。
22歳の時に、帝国大学理科大学(現・東京大学理学部)
植物学教室の矢田部良吉教授を訪ね、同教室に出入りして、
文献・資料などの使用を許可され研究に没頭する。
25歳で、同教室の大久保三郎や田中延次郎・染谷徳五郎らと
共同で『植物学雑誌』を創刊。同雑誌には澤田駒次郎や白井光太郎、
三好学らも参加している。
26歳で、かねてから構想していた『日本植物志図篇』の刊行を
自費で始めた。
1889年、27歳で新種の植物を発見。
『植物学雑誌』に発表し、日本ではじめて新種のヤマトグサに
学名をつけた。
1890年、28歳のときに東京府南葛飾郡の小岩町で、
分類の困難なヤナギ科植物の花の標本採集中に、
柳の傍らの水路で偶然に見慣れない水草を採集する機会を得た。
これは世界的に点々と隔離分布するムジナモの日本での新発見であり、
そのことを自ら正式な学術論文で世界に報告したことで、
世界的に名を知られるようになる。
しかし同年、矢田部教授・松村任三教授らにより植物学教室の
出入りを禁じられ、研究の道を断たれてしまい、
『日本植物志図篇』の刊行も六巻で中断してしまう。
この時期、富太郎は東京と郷里を往復しながら研究者の地位を
確立していくが、実家岸屋の経営は瞬くうちに傾いていった。
1912年 ( 49歳 )から1939年( 77歳 )まで、
東京帝国大学理科大学講師を勤める。
この間、学歴を持たず、助手時代(1893年 )から計約46年間、
大学に留任している。
1927年、65歳で東京帝国大学から理学博士を受ける。
同年に発見した新種の笹に、翌年死去する妻の名をとって
「スエコザサ」と名付けた。
📝 「らんまん」を時々見てますが、面白いです。
牧野先生は、東大の先生を、40年以上、77歳までされて、
65歳で博士になられて、驚きました。
今は、定年制です。
東大は、昔から、東大出身かどかに関わらず、
有能な研究者達に、寛容だと聞きます。
発見した笹に、奥様の名前をつけられたのが、
ステキだと思いました。
🍀 Photo : スエコザサ