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Fashion source: Daily Journal

マティス展@東京都美術館へ②マティスの名言と振り返る。

2023.06.05 07:05

 マティス展、昨日の記事からの続きです。

 いろいろマティスについて調べていたら、マティスの生涯をまとめた可愛らしい絵本がありました。自動翻訳で日本語にして読めます。マティスは絵を描きながら人生を探究し、周りと自分自身を満たし続けていたのだなと、幸せな気分になる動画です☆彡

◎マティス展の感想。

日曜日のマティス展は混雑していました。それに、どの展覧会よりも幅広い年齢層の方々がいらしている印象です。なんだか日本も美術鑑賞が日常的になってきたようで嬉しいですね。逆にここには外国人がいなかったです。だいたい画家一人にフォーカスした展覧会は、はじまりから晩年までの作品を順番に見る流れになっており、今回もそのような構成です。流れを把握しながら、絵画と共にマティスの人生を追体験できます。

特に印象的だったところを、ランキング形式で振り返ろうと思います。


第4位 マティスは絵画のアイデアを練る時に、しばしば彫刻を作ったという。

 マティスが、アイデアを練るために彫刻を作ったり、趣味でヴァイオリンをしていたようです。私が前日に講演した「習慣のシンフォニー」と重なる部分がありました。

 彫刻作品は、20年かけて巨大な連作を作ったりして、歳を重ねるごとにそぎ落としていく美学を追求している流れが見られました。

 また、マティスは自分の芸術について、「様々な方法を使って、おそらく同じことを繰り返し探求してきた」「デッサン、彫刻、切り紙絵を駆使しつつ、光、色、線が一堂に会する空間を創り出そうとした」と語っているそうです。

 独立17周年感謝祭講演『習慣のシンフォニー』で、「1つの習慣を長く継続するだけでなく、いろいろな習慣を組み合わせることを提案したい!」と話したばかりなので、つながりました。改めてマティスから探究の姿勢を学ばせていただきました。


第3位「私の線画は、私の感動の最も純粋な翻訳である」

 意外とデッサン画もありました。「私の線画は、私の感動の最も純粋な翻訳である」との名言にグッときました。つまり、マティスはデッサン画を描くことで、感じたことを最もシンプルな形でアウトプットしていたということです。それを私に置き換えるならば、「私のブログは、私の感動の最も純粋な翻訳である」ということなのです。(笑)ここにもつながりがありました。やはり長年何かをやっている人間の欲求には、共通点があるのかもしれません。


第2位 マティスの人生を賭けた仕事の到達点である「ロザリオ礼拝」


 南フランス・ヴァンスにある「ロザリオ礼拝」について、マティス展の中で思い出したことがありました。

 2011年、画家のように光を目指してニースへ行った私は、(笑)当時シャガールが好きで、シャガール美術館とサンポールにあるシャガールのお墓へ行くことにしました。

 真っ白なチャペル、青い光のマティスの教会も行きたいと思っていたのですが、場所的に無理で断念したことを思い出したのです。でも今思えば、マティスの思いを知らずして行っても、よくわからないまま写真だけ撮影して、ありがたみが薄いものになるところでしたので、これでよかったのでしょう。晩年に訪れたいと思います。(笑)

 晩年のマティスが目指した建築は「気持ちそのものが軽くなるような場所」だそうです。そしてこの仕事について、こんな風にも語っています。「いまも続く探求の果てに、私が選んだのではなく、運命によって選ばれた仕事である」と。痺れました。私も言いたい、というかそう言おう。(笑)

 ここまでマティスと共に展示を見てきた私として、胸熱の瞬間でした。展覧会のラストは、4Kで「ロザリオ礼拝」を視聴するコーナーです。

 マティスの人生を賭けた建築、内装デザインの光の美しさに感動しました。削ぎ落された天使の絵、キリストの十字架、太陽の光によって変化するキャンドル。美しすぎます。

 ロザリオ礼拝メイキング動画を見つけました、あのシンプルすぎるキリストの十字架の彫刻もマティスが作ったのでしょう。かわいいです。(笑)


第1位 『コリウールのフランス窓』

 1914年、45歳頃の時に、第1次世界大戦が勃発。その直後にマティスは南フランスのコリウールに移り、短期間を過ごします。そこで描いた『コリウールのフランス窓』。

 戦争がはじまり、人々、自分の心の内を表現して、窓の外を黒くしたのかな?と、想像していました。「私はただ、感覚を表現するような色を置くようにしている」とマティスが言うように、これは彼の感情表現なのだと。

 皆さんはどう見えるでしょうか?しばらく私も窓の外で起こっていることを想像してみたりして、窓の前で佇んでしまいました。

 音声ガイドが進んでいき、ハッとしました。「よく見ると、ぼんやりと窓の手すりが描かれているのが見える」と言うのです。

 目をこらしてよく見ると、黒のベタ塗りと思っていた闇の中から、バルコニーの手すりがうっすらと浮かび上がって見えてきたのです。漆黒の闇に溶け込みながらも、静かに存在しているものが確かにありました。その瞬間、私の視力が上がり、急に世界が変わったような感覚に見舞われました。この感覚、意外と味わったことがないかもしれないくらいのショックです。また一つ洞察力が磨かれました。

 マティスの作品は、見るものに委ねるのです。女性の顔が結構いい加減に描かれているのもミステリアスでしたし、顔はのっぺらぼうでいいや、と、完全にこちらに委ねているものもありました。

 

 マティスは、法律家を目指しながら、絵筆を持った瞬間に画家に目覚め、絵を学び、色を学び、旅や人からインスパイアされて、新しい試みを実験したり、絵だけでなく、彫刻やヴァイオリンも弾いて、車いすになっても創作活動を続けて、切り絵に発展し、ジャズになって、最後はロザリオ礼拝を作って、旅立つ。マティスの人生の過ごし方に感動しました。

 最後にお目当てのTシャツを購入しました。

 大きめに着たいので、Lサイズを購入。夏のリラックスしたパンツと合わせたいです。

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 総勢6名で行きましたので、出口で合流しまして、ランチをすることに。東京都美術館のレストランは激混みで、どうしよう…となっていたのですが、芸術にもお詳しいKさんが、西洋美術館のレストランを教えてくださいました。目立たないところにあるので、日曜なのに割とすぐに入れました。テーブルを繋げて6名席にしてもらえて、マティス談義に花が咲きました。みんなで振り返ることで、マティスの感動を追体験できて、とてもよい時間でした。

◎お墓参りへ 

 15時くらいになりまして、上野からまた移動するのもあれなんで、私の上野ルーティンである、お墓参りへ。皆さんがこのブログにたまたま出てくる、私の祖母のお墓参りのことを知っていたので、行ってみたいということになりました。上野公園から10分以内なので近いです。散歩がてら寛永寺へ。これまでも私の友人がお参りしてくれたこともあります。なので、久しぶりの家族以外の訪問です。(笑)

 私が手際よく、お墓をブラシでこすり、掃除をして、お花を入れて、お線香を立てまして、お参りしました。(笑)「人の家のお墓参りなんて初めてです」と言われましたが、そりゃそうでしょう。いいことありますよ! 


◎国際こども図書館へ

 国際こども図書館が開いてましたので、帰りがけに立ち寄りました。素敵な建物に皆さんと一緒に癒されました。

「習慣のシンフォニー」を、最後、上野ルーティンであるお墓参りと共に締めくくりました。2日間で15時間の旅程。海外旅行のような17周年感謝祭となりました。皆さんにドーパミンが続いていく感覚を習得していただけたのではないかと思います。(笑)

 これからも世界に「ドーパ民」の仲間を増やしていくべく、『習慣のシンフォニー』の講演動画は、常設展としてHPでいつでも購入できるようにいたします。(笑)いつもありがとうございます。