蔓に花咲く地域精神
ヘレン・アイレズはカタルーニャが独立を求めることは地域のワイン職人の声を反映していると見ている
翻訳:馬場 汐梨
「私の大叔父は1930年代にカタルーニャ共和国に勤めていました」と、今は自分が祖父になっているエンリックは言います。「フランコ政権下ではカタルーニャに勤めている人や文化的な仕事をしていた人は投獄されました。彼は牢の中でその貧しい環境により亡くなりました。」
ヴェガ・デ・リベスの貯蔵庫に座って、今年の収穫物で作ったできたてのワインときれいなグラスを手に、エンリックの目が輝いたのを見ました。彼の声には悲しさが混じっていました。彼は家族の苦難をセンセーショナルに伝えることはせず、カタルーニャ人にとってどのように政治的なことが個人的なことであるかを説明するようにして私にこの話を語ってくれました。
ローマ時代の何百年も前に、フェニキア人が中東の地中海沿岸からカタルーニャ地方に初期のアルファベットと共にぶどう栽培をもたらしました。エンリックのような現代のカタルーニャ農家が継いで、伝統的な種類のぶどうを使ってユニークなぶどう酒を発展させていますが、ワイン製造はそれほど長い歴史を持っています。
近年の独立運動はカタルーニャ内部やスペイン、そして世界中で意見を分裂させているように、カタルーニャ文化を認めさせるための努力は表面化してきています。一世代前では、エンリックの母親は家の外でカタルーニャ語を話すことが法で禁じられていました。母語を学ぶことや書くことも認められていませんでした。しかしカタルーニャの言語や文化は復活を遂げています。今日では、人口の少なくとも40%が世代間や学校、政府機関やメディアでカタルーニャ語を話しています。さらに、カタルーニャは繁栄している地域で、スペイン経済全体の20%に貢献しています。
先の見えない世界で、カタルーニャのワイン職人にとって独立とは何を意味するのでしょうか?地域の 2 大ワイン製造社であるフレシネとコルドーニュの役員は、スペインから分離することは「恩恵ではなく負担」だと話し、商品の流通や課税を指摘しました。しかし小さい生産者ではどうでしょうか?個人農家はそれをどう理解しているのでしょうか?
エンリックの農地、ラ・セラでは中世から彼の家族によって受け継がれています。彼らは毎年平均18,000本を生産し、海外との貿易や観光に依存しているので、カタルーニャで起きているストライキ、政治的騒動、そしてとりわけそれが海外でどのように見られているかがカタルーニャの経済を悪化させるといち早く気づきました。
「近年ここを訪れない選択をした潜在的なお客さんがいるのです」と彼は説明します。「もちろんカタルーニャ経済に大きく貢献している観光客もただどこか違うところに行ってしまうでしょう。」財政問題はカタルーニャが独立を求める最も大きな理由で、カタルーニャからマドリードに送られた税金がどれだけカタルーニャのインフラを作ったり整備したりするために戻ってこないかという話に真実があるとエンリックは強調します。
「これは道路や公共交通機関、病院や学校に影響します」と彼は言います。「私たちはただこんなことを続けることはできないのです。」ウェールズ人の私にとって、中央集権化した政府が遠く離れて独自性をもった地域のニーズや問題をどのように見過ごし、無視したり単純に勘違いするかということを理解するのは簡単です。その土地の近くに住んでいる人たちや統治されている人たちの手に権限が分譲されます。今現在の疑問は、カタルーニャだけでなく例えばスコットランドやヴェニス、フランドルのような地域でも同様ですが、これがどこまで許されるのかということです。
政治に加えて、他の質問も浮かんでいます。そしてエンリックが「レジリアンス(弾力)」という言葉を使う時、私たちは一般的なことから具体的なことまで横断してきたのだとわかります。彼は生涯同じ土地にずっと住んでいる農家です。それは現在の西洋社会ではめったに見ることのできない土地と人のつながりで、これがエンリックの個人的な弾力をもたらしています。30年前、彼はすべての作物を化学肥料フリーの生産に替えるというオーガニックな方法に切り替えることを選んだ時、一歩先を行っていました。今は気候変動に対応して補正しています。
有機農業研究協会の調査によると、ヨーロッパにおける有機ぶどうの 3 分の 1 がスペインで栽培されています。1970 年代には、サント・パウ・ドルダルのペネデースの町にあるアルベット・イ・ノヤもヴェガ・デ・リベスと同じくらい、オーガニックな方法で売り出していました。今日では、80 ヘクタールのぶどう畑から年間百万本以上を生産しています。オーガニックの技術は除草剤の代わりに機械での除草を含みます。また、化学肥料よりも健康的な土壌に重きを置きます。ぶどうの列の間や端の間作には灌木や生垣が用いられ、土壌の浸食を防ぎ、益虫に自然の住処を与えることで生物多様性を改善しています。
加えて、オーガニックワイン職人は土地固有の酵母での発酵に献身して自然な商品にし、ワインの保存を助けると同時に二日酔いの原因にもなる添加物である二酸化硫黄の使用を減らしています。アルベット・イ・ノヤのワインツーリズム活動の企画を手助けしているアナ・トレダーノは、彼らの哲学は自然環境に対する尊敬と、生命や健康への自然なアプローチが取り巻いていると語ってくれました。
それは、私が35歳の指定ワイン専門家のアシスに出会った、カン・スリオルでの話と似ています。彼は家族のぶどう畑で小さなグループと共にウイ・ダ・リャブラ種の黒ぶどうを収穫している真っただ中です。大型トラックの中に山盛りのバケツで何杯も空けながら、アシスは自分が他の仲間と違って「世代を欠かなかった」のはラッキーだと感じると言います。彼の両親は自分たちのすべてのぶどうを大量処理のために大規模ぶどう農園に届けるという流行に逆らって畑に多額を投資しました。彼らは小規模のワイン生産やツーリズムに焦点を当てていて、もうすぐ農場内の古い家屋をカサ・ルラールとしてオープンします。
彼らの新しい貯蔵庫には将来のためにアルミ製の大きな桶が備えられていますが、今はまだ地下のコンクリートの貯蔵庫とクリのバケツでワインを発酵させることを選んでいます。伝統的な技術に加え、アシスは地域原産のぶどうを使用することの重要性を強調します。土地に深く根付き、彼はその特性に依って「ぶとうと共に」生きることが最も重要だと考えています。彼が受け継ぎ選択した芸術と職人技術に夢中なアシスは、「いいぶどうを育てることで、他の何かを付け足す必要なくしていいワインが作れるのです」と説明します。
ヴェガ・デ・リベスを作るのに、エンリックは地元の居住者、マヌエル・ジョピス・イ・デ・カスデス(Manuel Llopis i de Casdes)によって絶滅から守られた品種のマルヴァジア・デ・シッジェスの甘いみずみずしさを好んでいます。この地域のヒーローは自分のぶどう畑を海岸沿いに作り、ワインを栽培し続けるという条件で、その土地を地元の慈善団体に遺言によって譲りました。これらの青い、ほとんど透明に近いぶどうの一房を茎の上でやさしく手で覆いながら、エンリックはマルヴァジアが特に気候変動によってもたらされる気候のパターンに適しているのだと説明します。春の異常な酷暑では早い収穫をすることになるのですが、これは摘み取りをする人には問題で、比較的涼しい 9 月を待たずに夏の酷暑の間に収穫しなければならないのです。しかし、マルヴァジアは熟すのに余分に時間がかかるので処理するのを秋まで置いておけるのです。。。
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彼らがワイン絞りの儀式を体験させてくれ、トラック何台分もの採れたてのぶどうが甘くてわずかに泡立ったジュースに変わりましたが、その間この二人の農家は気候変動について淡々と話してくれました。彼らにとって、それは現実です。彼らのライフスタイルは季節にとても調和しています。彼らのビジネスは降水量と日照を探知して予測し、また合わせる能力にかかっています。ラ・セラが独自の気象台を持っているほどに。両者のぶどう畑は、カタルーニャが特に影響を受けやすい干ばつを含めて変わりゆく天気や気候パターンに合わせるシステムになっています。この認識は地元の農園で持続可能な方法で生産されたオーガニックのコルクを使うことにまで及んでいます。
ワインはカタルーニャ文化にとって重要な特徴で、農家たちはカタルーニャ人の独立にかける情熱をワイン生産に生かしています。カタルーニャ語を復活させる努力を決定したことや政治的自決を求める闘いを反映させています。マドリードの政府はカタルーニャが自己表現する方法を好んではいないでしょうが、たった一世代でどのように違法言語が寿命を得たかは心にとめているでしょう。カタルーニャの文化的なイベントでの熱狂的な参加と同様、各小町村はコミュニティ全体で伝統衣装をまとったり音楽や歌に満ちた楽しいパレードを行ったり一つになっています。
おそらくもっとも驚くべき側面は若い世代が年配層と同じくらい関わっていることです。農家の家族においては働いてワイン文化やワイン醸造、マーケティングやグローバル市場でのワインのプロモーションについて学んでいます。エンリックの息子のビエルは最近アイデアやインスピレーションを交換するためにカリフォルニアで過ごしました。そしてアシスも、新しい技術を学ぶために旅をしました。何世紀にも渡って受け継がれた知識を持っているだけでなく、彼らは新鮮なアイデアを進んで取り入れています。このことはカタルーニャが過去に根付いていると同時に未来にも油断のない文化だということを表しています。
この特徴の説明をわかりやすくするために、エンリックはカタルーニャの地理的な場所を指摘します。広い山脈と川の奥地にあり、片側はフランスとの境界がありもう片方にはスペイン本土があります。海にも開かれており、伝統的に異文化に寛容で難民を含めた移民を受け入れる姿勢でした。
私はワインの専門家ではありませんが、これらのワイン職人が、自分たちが売る商品はもちろん、自分たちが耕す土地をここまで深く気遣っていることに勇気づけられました。カタルーニャに住む外国人として、ぎこちない言葉に関わらずただ好意と優しさを受けてきました。政治がどうなろうと、カタルーニャの人々が自分たちのユニークな見解を世界に発信し続けることは間違いないでしょう。おそらく、私たちのように、それが彼らが本当に望んでいることなのでしょう。
ヘレン・アイレズ (Helen Iles) はカタルーニャ在住のライター兼映画製作者です。
Local Spirit • Helen Iles
The winemakers of Catalan on the call for independence and its impact on their livelihoods
307: Mar/Apr 2018