名前
呼びかけ&名を呼ぶということ
「名は体を表す。」と言われます。
姓名判断も「自分がどう名乗るかで運命が大きく左右される」と主張します。
名は実体を生んでいくということでしょうか?
観測者がいなければ 現象は不明とされることと類似しています。
あなたの世界では あなたが意識したものだけがこの世に存在するものとなります。
地動説を主張したガリレオは宗教裁判にかけられました!!
地動説は多くのものが意識で承認して初めて真実だと言われるようになりました。
顕在意識で認めることができたものだけが 存在を許される。実態を与えられるとも考えられます。 また「名を知るとは相手に勝つこと」のようにも考えられてきました。
名の知れない化物が 化けの皮をはがされることを「名を呼ぶ」と表現するのでしょうか?
タロットカードの13には名前がありません。
その理由を「秘伝カモワンタロット」では「13という数字と同様、言葉に出して呼び出してはならないほど恐ろしい存在だから」だと述べています。
13日の金曜日はイエスが処刑されたとする「不吉な日」のいわれがあるからでしょうか?
旧約聖書でも神の名をみだりに呼んではならないと説きます。
いずれも名を呼ぶことの力を 連想してしまいます。
フォーカシングにおいても 「漠然とした体の感じ・フェルトセンス」にハンドリングしながら ぴったりした名前がつくとす~っとします。これをシフトが起きるといいます。
名を知ることで潜在意識と顕在意識の統合が起きるということでしょうか。
神の名を呼ぶとは 祈りの対象を定めることであり、内の神を知ることとなり神と一つになることへの希求と取れるのでしょうか。
祝詞、呪文、言霊、スートラ、マントラの違いはどこにあるのでしょう?
創世記は全ては言葉によって産まれたと記しています。
ヨハネ福音書の最初にも「はじめに言葉があった」と記されています。
大和言葉は音が大事、漢字は意味が大事ともいわれます。
「名」・「言葉」の瞑想は 集合無意識に出会う扉を叩くことかもしれません。
「名」・「言葉」連想ゲームで楽しむことも 集団マインドマップ作りになり
放射思考力を回復しながら グループで自分たちの集合無意識に触れ始める きっかけになることでしょう。
それをコラージュメーキングで表現する、あるいはスートラ作りをするなどの活動に展開すると瞑想からワークショップに連動するプログラムとなります。
和多志の言葉のイメージ遊びを記します。読んでいただけると幸いです。
<ミキシィー日記より>
命と言う字に関してマイミクさんから興味深い応答をいただきました。以下です。
命という字は「令と口に分けられます。この口は祭器を表し、礼服をつけて跪いて神の啓示を待つもの。ゆえに神の啓示を意味します。明朝体からの解釈はやめた方がいいですよ。
ちなみに食も人を良くするのではなく、穀物を盛る器の意味です。」
< 和多志の返信>
興味深い お話、ありがとうございます。
漢字は文化の反映、 文化は人の思いの反映。色々な解釈は面白いですね。
神の啓示を待つとは 「天命を待つ」のようにも受け取れ 食は人をよくも悪くもする故、ニュートラルな「器」が落ち着く感じもします。
優は人が憂うと書き 優れている、優しいと読む。劣は少ない力と書き 力まず 自然体の強さを感じる。偽は人の為と書き、偽りと読む。人の為は自分の為という意味でしょうか?
つい言葉遊びをしてしまいます。
言葉は左脳エネルギーであり、魂感覚を失わすとも言われますが 言靈ともいわれます。
聖書の創像物語は 言葉から始まります。言の「葉」は「波」と置き換えれば 見事に神話と現代科学が一致します。マイミクさんの了解を頂いてアップしました。
Facebook平木 大士さん投稿記事
ご近所に薬師如来を祀る小さなお堂がありまして立て看板には『おんころころ せんだり まとうぎ そわか』という真言が平仮名で書かれています。
ふと気になってお堂に貼り出されていたこまかな解説を読んでみますと、、、
薬師如来には病気平癒の祈願があるらしくむかしはおばあちゃんが子どもの痛みをとるために
「おんころころ」と唱えながら子どもをさすっていたのだそうです。
これって、ホツマツタヱでいうところの『オノコロ』ですよね?😳
ホツマツタヱではオノコロを解説する18アヤの終盤に子どもがねむったあと
悪夢なんかに襲われたときは「おのこ おのこ」(おのころ おのころ)と手や額をさするとよい
という由が書かれています。
このくだり、いまいち実感がなかったのですが薬師如来の真言として残って実際に使われていたとなるとすごく親近感がわきました。
ちなみに近所にある薬師如来のお堂は「阿波堂(あわんどう)」というのですが何故「アワ」と呼ぶのかはわからないのだそうです✨