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許認可・法務  al&la  行政書士 井原法務事務所

損害賠償一節

2021.04.30 23:00

Ⅰ日本は国土が狭いのに、人口は多い。物価は高い。

江戸時代には、江戸は、世界一の都市国家だったと言います。経済も人口も、下水道設備も、すべてにおいて。
ただ、この国は、本来が「木と紙の国」であります。
そんな江戸に多かったのが、有名な火災。江戸の大火は、筆舌しがたく、一度失火すると、江戸の多くを滅っしてしまう。                           
それゆえ作られたのは、随所に、隣への延焼を防ぐ、広い土地を空き地にすることでした。そこで、延焼を食い止める。海外のドラマや、TVでも見る山林火災でよくやられる方法。
しかし、そんな空き地もいつの間にか、物が置かれ、人が住み、、、空き地でなくなってしまうありさまでもありました。


日本は国土が狭いのに、人口は多い。物価は高い。

しかも、家は、かつてウサギ小屋と外国から揶揄された時代からしても、未だ変わってはいません。

地震大国なのに、土地は狭いわ、家は小さいわ。戦争で焼け野原となって復興した町でも、狭い通りはいっぱいあると言うよりありすぎます。それで、火事でもあれば、消防車は近くまで行けないとか救急車も近寄れない。挙句の果てに手遅れ・・・です。


かつて映画になった「日本沈没」は、話題の映画を見ただけに終わっているのが現実です。

しかし、西洋の様に、広ろい土地で、せめて中くらいの家を持とうと思っても、高すぎて買えません。

狭く小さい家を一生のうちに買う事の為に生きているような人生で終わってしまいます。
そもそも、昨今では造りが、昔の家のような、何世代も持つ家ではありません。
例えある程度見栄えのする大きさの土地建物を得たとしても、長持ちしないので、次世代=子供の世代には(否もっと早く)その修繕に金を掛けねばならなくなります。
資産を引き継ぎ増やしていくなど、とてつもなく難しい。金持ちにならないとやっていけない。
とは言え、多くの家庭では、次世代にまかせると言うよりは、それらの事は十二分に言い伝えていません。
祖先から元々広い屋敷を持っているところはいいでしょう。又、田舎の様に土地代はタダみたいで、家に金を掛けるだけのところもまだ楽です。
しかし、現実は、便利さなどもあって、田舎で住むと言うのは、よほどでないと難しい。
そんな小さな家でも、隣り同士が隣接しすぎて危険が多すぎます。


・隣接する家との間が広ければ、火事の時でも、出来るだけ小さく済ませられる可能性は大である。

・高層建築が流行るが、いくら、耐震設計でも、大地震では落ちるものは落ちる。

狭い国だからか、上にばかりもっていこうとする

ちなみに、TVでその解明番組が組まれたアメリカの9-11事件の貿易センタービル事件。

このビルは、ハリケーンに対するようにはできていたが、耐震設計ではないので壁面の鉄骨繫ぎのボルト数も4つで足りる設計と言う。

もっとボルト数が多ければ、もう少しは、バラバラになりにくかったのではなかったのかと言うような説明でした。


・街中ばかりではないが、ビルなどの広告物は危ない。外壁も危険。
・塀など、建築基準が今より緩やかであった時の使用で作られているところは、多すぎる。
それに対し、耐震建築を施せと言っても、簡単ではありません。

(今その対策の補助金を提案されていますし、自治体によってはすでに対策がなされています。)

・過去の建築基準で良かった建築物も、今の建築基準からすると、「違反」ではなくても「不適格」と言う事にされます。しかも、それらを、修繕しないままほっておいて、何か第三者に危害が起これば、所有者責任を問われる。その損害賠償は、いかほどになるかは計り知れません。


「災難は忘れたころにやって来る」というより「災難があっても、何とかなると言う時点までやっておく」と言う「予防」が常日頃からいかに大切か。
ある意味、逆に考えれば、過去の時点において、建築基準が、もっと厳しくあれば、今の耐震基準に慌てなくても済むことになる。当時ではそのような事は考えられなかったからとか言うのかもしれないが、日本が世界に類を見ない地震国であることは、今に分かったことではないのです。


つまり、将来の予測に対する対策に、「これくらいならよいだろう」と言う事は許されないのです。地震ばかりではなく、すべての事に対し「これならよいだろう」などと言う事はないのです。

「予測不可能だが、予測できる範囲までは一応やったにずぎないとして進む」のが、本来で有るべきでしょう。それが、「とりあえず」とか「これくらいでいい」とかが、平然とまかり通っているので、後々になって。問題が露呈します。


Ⅱ「そうしないと先に進まないから」と言うのがおおいものです。


勿論将来のことなどどうなるかわからない。しかし、考えられる範疇は考えての行動でやるしかない。
その為には、「基礎」段階が一番大切ですが、それに続いては「管理」がとても大事です。その管理は、第3者によるもので、強制力がなければなりません。
その力が有れば、事件が未然に防げた、と言うようなことはあまりあるところです。
すべてこれで良いと言う事がないと言うように、そののちの事を想像するべきです。
例えば。新築で家を建てて住まい始める。
その時はうれしさばかりです。
そうではなく、10年後、20年後、この家はどうなるのか。この家、隣りはどうなるのか。この家の木々はどうなるのか。
又その時考えるべきことは、「物は買わない。増やさない事」です。


Ⅲ「物を買う=資産が増えると言う事は、裕福になったように感じる。」

しかし、いつまでも、同じ状態ではない、「老朽化・維持・変更する」金もかかります。
そもそも、場所ばかりとられる。それゆえに、「整理整頓」に悩む。
これでは、ストレスばかりです。
日本の家庭にはどこでも、なんでもあります。それが日本の家庭です。
小さな器(小さな家)の中に詰めこめるだけ詰めています。
物がありすぎて、寝る場所もないと言う家も多いです。
整理整頓が日本ではもて囃される所以です。


シンプルイズベストを忘れない事です。


花が好き。木が好き、犬が好き。猫が好き。。。すべて命ある者は死んでも、世話と管理がいるし,その後も終わるものではありません。

親が積み上げた財産は、子が引き継ぎ育てていくが、誤ると負担にもなる。

それがわかっていない。つまり、原因の多くはその時点における話し合いが成っていないから。

「伝える」ことをしていない・・・すべて

子どもの為にしたことでも、子どもの時代になって負担として露呈されることは多いです。


例えば、先ほどの、建築基準のはなしです。
過去の建築基準では良かったところの、親が作った家の塀が高すぎるとか、鉄心が入ってないとか、支えがないとかになると、今の建築基準に合わせた物を、子どもがやらねばならない。親が作った時には、子どもにそのような危険リスクは予想がつかないし、考えもしていない親も、専門的な事は分からない。
建築屋に任せるしかない。そのうえ、手抜き工事など、日常茶飯事です。
其れが、子どもが親の年齢になる時には、多くが家の修繕時期に来ている。
家で半世紀持つなどないから。子供は、祖先の作った「00家」を守って行くには、多額の維持費がいる。今の法律で行けば、相続人が平等な立場であることが強調されているので、その家の相続人の維持費は入っていない。


Ⅳ「予防」における対策のひとつは「どれほどの損害賠償が発生するか」を予測する事です。

・「そんな事無理!」とお思いでしょう。勿論難しいです。難しすぎます。
ここで言うところの事は、身近に起こるであろう事件事故病気債権債務等について、日頃から推測する、出来る範囲で…と言う事です。
そして、常日頃から起こる各事象について、専門家の意見を、少しでも調べる・見聞きするのです➡文献・無料相談・セミナー・専門家と知り合いになるなど。
それ以上の事は、やはり、事実があってからでないと分かりません。


予防と言うのはどれだけやってもキリがない事です。結果がわからないからです。
だから、「どれほどの損害が出るか」を過去の例から。計算から漏れなく推測してやるのです。


ただ、その時、出てくる言葉があります。

「そんな金ない」・・・・です。


Ⅴ.人は責任は取りたくないもの

誰しも、損害に対する、責任は取りたくないものです。簡単なものであれば、しょうがないですむこともありますが、とかく、賠償といえば、高額と相場が決まっています。

例え高額でなくとも、そもそも「謝る」と言う事が嫌なのです。(面子のあるなしでも。

また、初めに誤れば、非を認めるので、していけないと言う場合も有ります=「認める」=.責任問題が発生する故に、です。)


しかし、商売をやっていれば特に、売った商品・扱った物が、直ぐ取り換えの効くようなものであれば、新品と交換するなどは、店の信用としては行われることが多いものです。

交通事故などのような賠償責任においても、軽い物損事故から、相手の生命に及ぶことまで、賠償責任は広範囲に及びます。

車同士の物損事故であっても、軽くても重くても、自分側の非を簡単に認める事をおよそ人はしないものです。

止まっている車にぶつかった等、100%自分側に非があれば、認めざるを得ませんし、それでも、「運が悪かった」だの「何であんなところにおいてある」とか「しまった」の繰り返しで、いやいや弁償に応じるでしょう。

損害の責任を取るとは、相手や相手の物に対して、過失のあるなしにかかわらず、その責めに応じる事…でありますが、すべては社会的責任以外は、お金による賠償補填です。
その賠償額も、裁判沙汰になれば、色々な条件が出て来て、100%填補されません。

裁判沙汰でなくても、車同士の保険請求時でも分かるように、100%の弁償を受けることはありません。


また、買ったものが高額である時、それに傷など数年たってから見つかっても、メーカー側には瑕疵担保責任なり製造物責任があるのですが、往々にして、新品と交換するとかはありません。(保証期間を定めたり、免責事項を事細かく決めたりしてあります。)

多くはそこの部分の修理・部分交換で終わりです。交換・修理で補えれば、新品になったことで、良いこともありますが、その箇所によっては、いくら新しくなっても、価値が下がってしまう事もあります。結局、その事には相手は触れません。

そんな時、得てして、相手から出てくる言葉でわかります。

「新品で買ってもらっている」とか「上得意様ですので」とか、普段聞きなれない丁寧な言葉が出てきます。

若し、製造物に被害者が出たらどうでしょうか。

いくら、製品を売った当事者でも、販売店に債務不履行を問うのは難しいと言います。

PL法は、故意過失を立証しなくても、その責任を追及できるものですが、ここにおいても「PL法」は、被害者が、表面化しない限り、有耶無耶になり、機能しません。



・先般の看護婦による高齢患者の無差別な注射での殺人事件や介護人が傷害者施設での虐待など、わからなけらば、身内が居なけらば、何をやってもいいとか、手違いの介護でも、黙っていることで、責任を免れようとすることは、有り余る事です。表面化されないだけの事です。
また、ビデオカメラに介護者の顔を引っ張たいて、罵倒を浴びせているのを撮られていても、「あの時は。。。」と言い訳をしています。
本来それは傷害罪で訴えるべきですし、いくら介護人不足と雖も、そのような人を、同じ介護の世界に再就職させては、いつかまた同じ事が起きます。
犯罪を犯したことを認識させることは、関係者の責任でもあります。


そもそも、人の命にかかわる仕事はすべて「聖職」であるにもかかわらずです。そのような意識などありません。あるのは、金儲けと責任逃れだけです。             
もちろん誰でも、責任は取りたくありません。しかし、道義的にも、自分がしたことにいつも責任ある仕事について一生懸命働いてる・生活しているならば、過失であっても、責任を取ると言う考えを常日頃持っていないと、事故時には、逃げるとか、うろたえるばかりになりやすいものでしょう。


Ⅵ 「やられ損」

交通事故でも、加害者側に成るより被害者側の方が、いいと言う事もあるかもしれません。
しかし、所詮、すべての賠償責任が、100%されない以上、多くは「遣られ損」です。(死んだり、障害を持ってしまったり、償えない場合は、100%と言うのは、初めから望めない)
損害の賠償は、例外もありますが、金銭に依るのが大原則なのです。
しかも、その損害賠償の範囲となるのは、債務不履行や不法行為時に生ずるであろう(=相当因果関係)一般社会的な損害のみです。
事故で失った片腕も返せと言っても、無理なのです。


和解でも同じです。殆どの事件事故は、その損害賠償においては、不完全履行で終わります。
不完全な履行とは、「①履行がある ②履行の給付が不完全である。 ③不特定物に瑕疵がある。」を言います。但し、特定物を債権の目的とする場合は、その給付だけが債務内容であるので、履行期時期にそのまま引き渡せば、予想しがたい瑕疵があっても、完了し、瑕疵担保の問題だけとなります。


私たちは普段から「事件事故に遭遇しないように生きたい」という願いしか望めません。
よく言われる言葉にこのような事もあります「二度とこのような・・・」です。     
なのに、それが起こります・・・また。(一体全体、人は、そこから学ばないのか?と)=学んだ人も死んで、新しい人が生まれてくれば、また、何か起こります。
しょうがないですが・当然の様に。


「人間一寸先は闇だ」と思う時は、色々な悲しい出来事を見聞きしたり、実際に遭遇しているからに他ならないでしょう。
だから、毎日を少しでも悔いのない日々を過ごしましょうと言われるゆえんです。
それに、NHKのちこちゃんの番組ではないですが、「ボーと生きてんじゃあねえよ!」と言う言葉、非常に実直で胸に刺さります。



🔡【WORD】🔠

・「不法行為」

・「債務不履行」

・「損失補償」



●「瑕疵担保責任」(かしたんぽせきにん)~民561~572条~

売買契約において目的物に(隠れた)瑕疵があった時に、売主が買い主に対して負う責任。つまり、損害賠償責任があることを言う。

売買の目的を達することが出来ない時は、契約の解除をすることが出来る。この場合は、買い主からの、契約解除・代金減額請求・損害賠償請求を言う。

第566条1項:「売買の目的物が地上権、永小作権、地役権、留置権又は質権の目的たる場合において買主がこれを知らさりしときはこれが為に契約を為したる目的を達すること能わざる場合に限り解約の解除を為すことを得その他の場合においては損害賠償の請求のみを為すことを得。」

同3項:「前二項の場合において契約の解除又は損が賠償の請求は、買主が事実を知りたる時より1年内にこれを為すことを要す。」※一年以内=除斥期間

第570条(瑕疵担保責任):「売買の目的物に隠れたる瑕疵ある時は第566条の規定を準用す。」


●「損害賠償」(民法709~724条)

違法な行為により発生した不利益を除去する為に課せられるものを言い、金銭でもって、その賠償を補うのを基本とするので、損害賠償=賠償金を意味する。この場合の違法行為とは、債務不履行・不法行為を言う。

つまり、紛争を金で解決する手段です。

また、損害賠償には、財産的損害及び、精神的損害も含まれる。

故に、物の損害を受けた時に発生する極度な精神障害を伴えば、その責めにも応じることも出てくることになる。(慰謝料)

犯罪による損害に対しては、加害者は、刑事・民事責任を問われ、その責めに任ずる。


・「PL法」製造物責任法・・・平成7年6月施行

製品に欠陥があり、消費者が、そのために何か被害を受けた時、製造者は責任を負う。

(しかし、条文には、必ず免責事項が入っているのが、常識)