葉っぱのフレディ
お疲れ様です。
最近
誰かに寂しいという事を勇気を持って言ってみたところ
しょうがないじゃないと言われました。
そうなんですよ。
分かってます。
お仕事忙しいとか
距離が遠いとか
疲れてるとか
色んな個々の事情があります。
そしてそれは家族ですらその人の全てを把握することは不可能。
全部教えて!なんて言った日にゃ
その報告で疲れちゃう。
どちらかやめたくなったら本末転倒だ。
じゃあなんとなく空気読んどこう。
ってなっても
相手が読んで欲しい空気と
私が読んで欲しい空気はズレがある。
当たり前だわ
相手は少しでも今の負担を減らしたい
事なきを得たい。
私は少しでも心を安心させたい。
でもそういう気持ちは五感ではわかりずらい
情報にズレもでる
受け止めることに疲れる
嫌われたくない
喧嘩したくない
…もう諦めるか。
と涙しながら頭の端に押し込む。
本当はどうしたいかって
寂しいを受け止めて欲しいんだわ。
でも相手に引かれたくない(気持ちを拒否されたくない)のじゃ。
もし伝えたのがうまく伝わるのはタイミング次第。
全てはタイミング
その時の心境
え?そんなん読めなくない?
じゃあ
今仲のいい仲間は
たまたまタイミングが良かった?
嫌いなあいつは
たまたまタイミングが悪かった?
なんて主体性のない出会いなんだろう!
偶然出会えた奇跡とか歌にありそうだけど
そう考えるとゲンナリする。
決定権のない出会い。
(出会いが悪いって言ってるんじゃないよ)
そうなると
そりゃ仲間ができない奴もでるよな。
仲間がいても表面的な付き合いしかできないよな。
あいつのせいにしたくなるよな。
だって自分で決めてない。
たまたまのそうなったから。
世の中のせいにしたくなるよな。
この時代に生まれてよかった。
でも最悪だな。
諦めて生きるか。死ぬか。
でも死ねない死にたくないからとりあえず生きておく。
そんな主体性のない人生
楽しい奴いるのか?
全ては自分が生まれてからの経験から
感じたものを私たちは観点としてもってる。
全て同じ事を感じ、同じ事を思う人は一人とていない。
この観点は自分だけが感じている。
レオ・バスカーリアの葉っぱのフレディって絵本にかいてた一文を思い出した。
一人一人感じるものは全て同じなことはない。
でも人は自分の過去から分析材料をもちだし
決めている。
相手が持ってる材料を
自分がもってないと
到底相手の判断は理解しづらい。
この世に普通、常識を完璧に割り出せる人がいない中で
人はこの言葉を乱打する。
もっとわかりあいたくないか。
自分の人生 自分で選択して何が悪い。
というより選択してんだよ。
なのに自分で選択してないとうだつく。
自分の選択に責任を持てば
開拓出来る。
そのために何を選択しているのか
自分がどういう観点をもってるのか
はっきりと自分の思い込みを理解せねば
相手に言えない。
向き合えない。
私があの人、仲間、家族と
いたいのならば
自分がみてる世界に責任をもとう。
持たねば心から楽しみながら生きてけないと思った。
流された状態で
あなたたちに出会いたくない。
そんなのを出会いと言いたくないんだ。
ちゃんちゃん。