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KazumaKawauchi

心配症末期

2018.06.25 17:01

日本人とは、本当によく心配をしている人種だなと、改めて思う。

僕はその日本人を代表するくらい心配性で、常に心配なことが頭をよぎっている。心配なことが一つもないと、何に対しても心配していない自分に心配をし始めるのだから、末期症状である。あれ?何に心配してたんだっけ?と思い出せないことにすら、心配をし始めることもある。


通っているライセンススクールで、初めてテストが行われる。


僕はしっかり勉強して、良い点とって、みんなを見返してやろうと意気込んでいたわけだけど、アルゼンチン人の彼らを見ていると、「テストって、そんなに大事なものなの?」というようなオーラを、身体中から発している。それは、生徒も、先生も同じだ。いつまで経っても正確な日時が決まらない。それを嘆いていると、友達に「日本人はいつも何かを心配しているな」と笑われてしまった。


僕が特別心配症なんだよ。


そう言おうとしたけど、日本人にとって「テスト」は誰もが心配をする項目で、もし同じ立場になったら日本人みんな心配すると思うから、言わないでおいた。


「心配事の9割は起こらない」


という、お坊さんが書いた本を学生の時に読んだ気がする。確かにそうだよなあ、そう思うんだけど、気付けば何かに心配している性格は、多分治らないし、それによって得することもたまにあるし、このままで良いのだ、と強がっている。ただ「心配」に対して、子供の時とは向き合い方が変わったのは確かだ。「心配」している時こそ、深く物事を考えることが出来ることに気づいたし、「心配」なことを乗り越えた時の清々しさは、他には変えられない良さがある。「心配」や「不安」が伴わないチャレンジなんて、なんの価値もないことにも気付けた。


世界は今、W杯の真っ最中だ。


アルゼンチン代表の成績が優れないことを、アルゼンチン人は心配するどころか、激怒している。本当にうらやましいなあと思う。



それにつられて激怒する僕は、後になって冷静に、メッシの心理状態を心配するのだけど。