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ZIPANG-7 TOKIO 2020 食事はどうする家康?戦国武将 三英傑が愛した「戦国飯」を再現!【KITCHEN MANE】

2023.06.11 17:15


KITCHEN MANEについて

歴史が色濃く残る街 横浜・馬車道
横浜港開港を機に新生日本の象徴となった横浜には
国内外から多くの人々が集まり
外国人を乗せた馬車が行き交ったことからその名がついたこの場所は
日本人が大切にしてきた文化を継承しながら新たな文化発祥の地となりました


四季折々の自然のめぐみを大切に
感謝の気持ちと共に、暮らしの中で昔から受け継がれてきた日本の食文化である 「和食」


横浜港開港から150余年
いくつもの時代の移り変わりを見つめたこの場所で
自然を尊ぶ日本人の気質に基づいた”食”に関する習わしを大切に
旬の食材にとことんこだわり 素材本来の味を生かす技法で作られるお料理と
お客様のリクエストに笑顔でお応えするサービスで
お客様と共に日本文化を紡いでいくレストランです


レストラン KITCHEN MANEから眺める横浜みなとみらい21の夜景をどうぞ・・・


横浜 きらめく街


ブルーライトヨコハマ


「『ひと』と『地球』の未来を描く」をビジョンに掲げ、飲食・小売・コンサルティング事業を展開する株式会社Innovation Designは、横浜・馬車道のレストラン「KITCHEN MANE(キッチン メイン)」にて、戦国武将が好んだといわれる料理を再現した「戦国飯」コース※を現在提供しています。


※当コースでは、長篠の戦いの後に徳川家康と織田信長が食べたと言われている「なすのつぼつぼ」をはじめ全8品を提供。


NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送が丁度、長篠の戦い場面である事もあり、三英傑に肖ろうと…またこの機会にレストランからのブルーライトヨコハマの美しい夜景を眺めたいという人たちが「食と景」に酔いしれているようです。


三英傑 左から織田信長 豊臣秀吉 徳川家康              ⒸWikipedia


戦国武将が愛した「戦国飯」を再現

KITCHEN MANEは自然を尊ぶ日本古来の“食”の習わしを大切に、お客様とともに日本文化を紡ぎ、“食”を通じて社会課題の解決を目指すサステナブルレストランです。


今回焦点をあてるのは「戦国時代」。徳川家康、織田信長、豊臣秀吉、山内一豊が好んで食べたといわれる全7品を通して、当時の暮らしを想像しながら戦国の歴史と食を楽しむことが出来るコースをご用意。




<「戦国飯」コース概要>

提供開始日:2023年4月21日(金)

価格:7,000円(税込)※要予約

提供場所:KITCHEN MANE

住所:神奈川県横浜市中区海岸通5-25-3 アパホテル&リゾート 横浜ベイタワー35F

営業時間:17:30〜22:00(L.O. 21:00)

予約方法:お電話(045-263-8571)にて一週間前までにご予約ください。


<コース内容詳細>

割粥

豊臣秀吉が好んで食べていたといわれる「割粥」は、米を細かく砕いて炊いた粥です。お座付きとしてご用意します。

なすのつぼつぼ

長篠の戦いの後、織田信長と徳川家康が食べたといわれている一品です。鶏ひき肉を酒煎りして、信長が好んで食べたというなすに詰め、餡をかけて仕上げています。当時は小さいなすで作られていたといわれています。


なすのつぼつぼ


かつおのたたき

司馬遼太郎の名著「功名が辻」の主人公としても知られる戦国武将・山内一豊が日常の食事で好んで食べたといわれている一品です。醤油に、酒・みりん・橙酢・鰹節・梅干を混ぜて一週間寝かせたものを裏漉しした自家製ポン酢をかけて味付けしています。スライスしたにんにくと一緒にお召し上がりください。


かつおのたたき


焼き蒲鉾、生麩の田楽

織田信長が日常の食事で好んで食べたといわれている、白身魚のすり身を使用して作られた焼き蒲鉾と生麩の田楽です。信長・秀吉・家康が尾張の八丁味噌を好んで食べていたことから、生麩の田楽には鉄火味噌を乗せています。


焼き蒲鉾&生麩の田楽


鯛の天ぷら

徳川家康の大好物といわれる鯛の天ぷらです。家康のブレーンでもある京都の豪商茶屋四郎次郎が「京都で流行しているものです」と勧めたことが由来といわれています。当時はさつま揚げのようなものを「天ぷら」と呼んでいました。


鯛の天ぷら


麦ごはん、真の八杯豆腐、焼き味噌、冷汁

徳川家康が食べていたといわれている「真の八杯豆腐」。昆布出汁8杯に醤油を入れただけの出汁に豆腐を入れて大根おろしを添えています。夏場によく食べられていたという、あじの干物を使った「冷汁」、大根おろしと一緒に炊いた麦ご飯、兵糧として食べられていた焼き味噌とあわせてお召し上がりください。


麦ごはん、真の八杯豆腐、焼き味噌、冷汁


鯛めし

甘鯛の干物の頭と中骨を油で揚げたものをご飯に入れて一緒に炊いた鯛めしです。炊き上がってすぐに頭と骨は取り出し、鱗がついたままの魚の身をカリカリに揚げたものを炊き上がったご飯に乗せて一緒に蒸らしています。徳川家康が隠居後に甘鯛の干物を食べた時、非常に美味しかったので、献上した興津の方の名前をとり「興津鯛」と命名したといわれています。

甘味(水菓子)

日本の和種(和の果物)

柿・桃・ほおずき・金柑の蜜煮など季節の甘味をご用意します。


季節のデザート


<今後の展開について>

KITCHEN MANEでは今後「戦国飯」シリーズの第二弾として、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗などの戦国武将が好んで食べた料理を再現したコースを展開予定です。


KITCHEN MANE(キッチン メイン)とは

自然を尊ぶ日本古来の“食”の習わしを大切にお客様とともに日本文化を紡いでいく、“食”を通じて社会課題の解決を目指すサステナブルレストランです。旬の食材と素材本来の味を生かす技法で作る和食と、35階から眺めるみなとみらいの景色をお楽しみいただけます。


レストラン KITCHEN MANEから眺める横浜みなとみらい21 昼の様子


住所:神奈川県横浜市中区海岸通5-25-3 アパホテル&リゾート 横浜ベイタワー35F
営業時間:17:30〜22:00(L.O. 21:00)
アクセス:みなとみらい線「馬車道駅」徒歩3分


<受賞歴>

・「FOOD MADE GOOD」2021 三つ星獲得

・「FOOD MADE GOOD Awards2021」調達部門賞受賞

・令和3年度「横浜市食の3Rきら星活動賞」受賞


Innovation Designについて

「『ひと』と『地球』の未来を描く」をビジョンに掲げ、飲食・小売・コンサルティング事業を通して社会課題の解決を目指す会社です。全社員が『サステナブルデザイナー』という肩書を持ち、自身の役割の中で地球の未来を変えるための取り組みを自発的に推進しています。

会社名:株式会社Innovation Design

所在地:東京都千代田区永田町2-10-2

代表者:代表取締役 石関 太朗

設立:2010年10月1日

事業内容:飲食事業、物販事業、コンサルティング事業


お問い合わせ

KITCHEN MANE
電話:045-263-8571
E-mail:info@innovationdesign.co.jp



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(敬称略)

公益社団法人神奈川県観光協会
〒231-8521 神奈川県横浜市中区山下町1(シルクセンター内)電話:045-681-0007

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。



【施設コンセプト】

街と船が非常に近いという立地。開かれる港から街へ回遊性が生まれる。コンセプトは「ヨコハマ ウミエキ」

日本初の近代的埠頭として横浜港の中心的役割を担った新港ふ頭に、『YOKOHAMA HAMMERHEAD』はあります。

3 方向を海で囲まれる海上立地で、開放感広がる青い海が見渡せることはもちろん、客船ターミナルから街が非常に近いという国内でも希少性の高い場所です。

ミナト街全体のさらなる発展を目指し、街と陸・海・空をつなぐ海の駅「ヨコハマ ウミエキ」が施設コンセプトです。

訪れる人々が横浜の文化を感じ、豊かな“ミナト時間”を過ごす新たな横浜拠点となります。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 “埠頭の上でミナトを楽しむ”  横浜に 『客船ターミナル』『商業施設』『ホテル』の  一体型新複合施設がオープン」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6441275


初夏の「聴秋閣」


●聴秋閣(ちょうしゅうかく)

建築 江戸時代初期 元和9(1623)年 / 移築 大正11(1922)年 徳川3代将軍家光が将軍宣下を受けるにあたり上洛した際、京都の二条城内に建てられたと伝えられ、のちに乳母の春日局(かすがのつぼね)に与えたと伝えられる楼閣建築。

この建物は江戸時代の武士 佐久間将監(さくましょうげん)の作と伝わります。小堀遠州(こぼりえんしゅう)と同時代に幕府の造営・修繕に関わる作事方を務めた人物で両者とも茶の湯に深く似た境遇であったため、遠州はライバル的存在であったのかもしれません。この建物から将監の挑戦・意欲が伺えます。


史跡名勝天然記念物「三渓園」

大正3年(1914年)には旧燈明寺の三重塔を大池西の丘陵上に移築して全園のランドマークとし、外苑を完成。


三溪園 国指定重要文化財

三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪※によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年(明治35)頃から造成が始められ、1914年(大正3)に外苑、1922年(大正11)に内苑が完成するに至りました。

三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 三溪園 紅葉の古建築公開  ~ 聴秋閣・春草廬(国指定重要文化財)2棟 ~
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7384529/


「THE YOKOHAMA FRONT TOWER」からの眺望


本物件は、国際交流機能や情報発信機能、文化機能を備えたグローバルスカイコモンズ、ホテル、サービスアパートメント、商業施設などで構成される「横浜駅きた西口鶴屋地区第一種市街地再開発事業」に含まれる、総戸数459 戸のタワーレジデンスです。

グローバル企業・アッパービジネス層のニーズに応え、住居者専用のワークプレイスの導入や横浜べイシェラトンホテル&タワーズ、横浜髙島屋、ジョイナス等との提携サービスをご用意することで、横浜都心居住を促進する施設としての機能・役割を備えています。

国家戦略住宅整備事業とは、産業の国際競争力の強化および国際的な経済活動の拠点の形成を図るために必要な住宅の整備を促進する事業です。

本事業では、グローバル企業の誘致に不可欠な都心居住の促進に向け、グローバル企業の就業者等の生活支援に必要な機能を併設した、防災・環境性能に優れた住宅を整備、提供します。

既存のまちの「界隈性」に、国家戦略住宅整備事業の「魅力的な生活環境」を付加した新たなまちづくりによって、世界にも認知度の高い街「YOKOHAMA」を、ビジネス環境と居住空間が一体となるような利便性に優れたビジネス拠点としてさらに飛躍を期待させてくれます。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-6 TOKIO 2020~駅と繋る~空と繋る~世界と繋る~♪♪ 日本初「国家戦略住宅整備事業」認定!
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/32095109



横浜市が誇る名勝庭園「三溪園」(所在地:横浜市中区)では、2021年9月18日(土)から9月23日(木・祝)まで、開園時間を21時まで延長(最終入場は20時30分)して「観月会」を開催します。


シャンティドラゴン 金剛 督(サックス) 林 あけみ(ピアノ)


美しい月を眺めながら音楽を楽しむことができ、秋の夜に相応しいイベントです。

ライトアップされた古建築を愛でながら夜の庭園散策も楽しめ、日替わりで開催する「リュートの演奏と日本舞踊」、「サックスとピアノ」、「筝曲」、「薩摩琵琶」、「和楽器のアンサンブル」の演奏を鑑賞でき、情緒豊かな時間と空間を堪能していただけます。


薩摩琵琶 錦心流中谷派襄水会 代表 荒井姿水


出演:薩摩琵琶錦心流中谷派襄水会(さつまびわきんしんりゅうなかたにはじょうすいか い)

代表 荒井姿水。

6 歳より父・中谷襄水に琵琶の手ほどきをうけ、後、松田静水に師事し古典を学ぶ。
NHK 邦楽技能者育成会第13期に入学、杵屋正邦(きねやせいほう)に現代邦楽を学ぶ。

1980年日本琵琶楽協会主催コンクール第1位入賞、文部大臣奨励賞、 NHK会長賞を受賞。中谷襄水没後、薩摩琵琶錦心流中谷派襄水会を設立、現在に至る。

国内外で活躍、円熟された世界観を持つ奏者として高い評価を受けている。

(詳細は本文にて・・・)



ZIPANG-5 TOKIO 2020横浜市が誇る名勝庭園「三渓園」にて『観月会』を開催!!
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/21204723



横浜を走るバス「ベイサイドブルー」


横浜市交通局では、横浜の新しい顔として運行1周年を迎えた「ベイサイドブルー」や、観光スポット周遊バスとしておなじみの「あかいくつ」の魅力を広く知っていただくため、オープンデータや応募者自身が撮影したオリジナルデータを使った映像作品を募集します。受賞作品は市営地下鉄車内デジタルメディア等で放映します。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-5 TOKIO 2020 街の灯りがとても綺麗ね横浜…応募は10/20迄!! 横浜を走るバス「ベイサイドブルー・あかいくつ映像コンテスト」
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/21198246



信長の城 安土城天主


城郭建築研究の第一人者、(故)内藤昌氏(当時名古屋工業大学及び東京工業大学教授兼任。1993年愛知産業大学学長歴任。名古屋工業大学名誉教授)セビリア万博展示の原寸大に復元された安土城天主は内藤案によるものである。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-5 TOKIO 2020 ~ 織田信長公にえらばれし町 ~ 近江八幡市の見どころ(Ⅱ)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/16312538



岡崎二十三番札所 成道山 松安院 大樹寺 山門(浄土宗)


「大樹寺」山門(県指定文化財)/ビスタライン


寛永18(1641)年に三代将軍家光公によって建立されました。楼上には後奈良天皇の勅額「大樹寺」(重要文化財)が掲げられ、釈迦三尊像と16羅漢が安置されています。本堂からは山門、総門を通して岡崎城を遠望できる「ビスタライン」は大樹寺の見どころのひとつで、この景観の保護は市の条例で定められています。

宝物拝観

大樹寺に代々伝わる貴重な文化財(絵画、工芸品など)を鑑賞することができます。家康公は病床で「遺体は駿河久能山に葬ること、葬礼は江戸増上寺で行うこと、位牌は三河大樹寺に立てること、一周忌が過ぎたら下野日光山に小堂を建てて勧請し、これにて関八州の鎮守とせよ」という遺言を残しました。以来、歴代将軍の位牌が大樹寺の位牌堂に納められ、位牌の高さはそれぞれの将軍の身長に合わせてあると伝えられています。

(詳細は本文にて・・・)


「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」 芭蕉



ZIPANG-5 TOKIO 2020速報“おかまいり”知ってますか?200 年前の人々と同じ道を、同じように歩いて神社と寺院を巡る!
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/11142118



長浜曳山まつり 見送り


長浜曳山まつりは、長浜八幡宮の春の祭礼です。

その始まりは、羽柴(後の豊臣)秀吉が、今浜(今の長浜)に初めての城を構えたころまでさかのぼります。(秀吉は織田信長の一字をとり長浜とする)

長浜曳山まつりの一番の見所は子ども狂言(歌舞伎)です。  長浜の子ども狂言(歌舞伎)は、寛保2年(1742)の台本や、明和6年(1769)以降の外題記録などから、この頃から歌舞伎が行われていたことがわかっています。長浜の町衆は祭礼に出る曳山と当時流行っていた歌舞伎をつないでいち早く取り入れ、まちなかを巡行させて移動芝居の場に仕立て、今日あるような祭礼をつくりあげました。

長浜では歌舞伎のことを「狂言」または「芸」と呼び、曳山を持つ町(山組)の5歳から12歳くらいまでの男子によって演じられます。演目は曳山の四畳半舞台と子ども役者用にアレンジされます。また、毎年新しい演目で演じられ、長浜独自の外題(題名)がつけられます。上演時間は約40分で、本番の前に行われる線香番と呼ばれる公開稽古で時間が計られます。子どもたちの稽古は振付師の指導により、3月下旬(春休み)から4月の祭本日まで約3週間行われ、まず読み習いがあり、それに続いて立ち稽古を行い、最終的に三味線・太夫と合わせて本番を迎えます。

(詳細は本文にて・・・)


長浜市 太閤秀吉 石田三成出会いの像


ZIPANG TOKIO 2020「無形文化の伝承こそ長浜市の誇り!ユネスコ無形文化遺産 日本三大山車祭『長浜曳山まつり』4月開幕!」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3782782



「本能寺焼討之図」 秀吉清正記念館蔵  明治 楊齋延一画  大判三枚続  本能寺の変を描く浮世絵。右端が織田信長、中央が明智光秀配下の安田作兵衛、左端が森蘭丸。


尾張の戦国大名、織田信長はしだいに勢力をのばし、1568年(永禄11)に室町将軍・足利義昭を助けて、京(今の京都)に入りました。秀吉は信長に仕え、長浜城主(現・滋賀県)、次に姫路城主(現・兵庫県)に取り立てられ、力をつけていきます。信長は1573年(元亀4)に室町幕府を滅ぼしますが、1582年(天正10)、本能寺で明智光秀に討たれ、天下統一を目の前にして倒れました。ここでは信長が天下統一を志した時代を紹介します。

名古屋市秀吉清正記念館


秀吉清正記念館のある中村区はじめ名古屋市の各区、各地名は、変遷を繰り返して現在の区域や名称になりました。

江戸時代以前の中村区周辺は、尾張国愛知郡中村郷という地名でした。 明治22年(1889)、名古屋市という行政組織と地名が生まれ、今の栄を中心とする地域が名古屋市になりました。

中村一帯は名古屋市には含まれず、愛知郡の一部になりました。明治41年、名古屋市は四区制となり中区、東区、西区、南区に分けられましたが、中村は愛知郡のままでした。 

大正10年(1921)、名古屋市が拡張され、周辺の町や村が名古屋市に大併合されました。このときはじめて中村周辺は名古屋市に含まれ、北側が当時の西区、南側が中区に併合されました。

さらに昭和12年(1937)10月1日、西区と中区から分区され、中村区が誕生しました。 今年は、中村区が誕生して80年になります。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG TOKIO 2020「(一社)日本色彩学会 平成29年度研究会《NAGOYA》大会及びLOJ&LC 大会前日(11月24日・金)プレ企画(見学・懇親会)のご案内(第一報)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3213274



石川県金沢市 尾山神社 夜になるとライトアップされたステンドグラスにあかりが灯る


信長・秀吉・家康の三英傑から一目置かれていた加賀藩初代藩主・前田利家公と正室お松の方を祀る神社です。見どころは国の重要文化財にも指定されている「神門」。和漢洋のそれぞれの様式が用いられた異色の門が訪れる人を惹きつけます。


奈良 薬師寺 (左)西塔 (右)東塔


「木のくせ組むには人を組め」

昭和62年初夏、薬師寺西塔に西岡家三代にわたる法隆寺の宮大工西岡常一棟梁を訪ねたことがある。西岡棟梁は正倉院に納められた工芸用のヤリガンナを参考に研究し、堺の刀鍛冶・水野正範氏の協力を得て再現したのである。

飛鳥の時代に使われていた工具・ヤリガンナとは一体どんなものでどのように使うのか尋ねると、薬師寺伽藍復興奉行所に案内してくれ西岡棟梁は、製材したばかりの桧(台桧)を実際にヤリガンナで削って使い方と仕上がりを見せてくれた(ヤリガンナで削った木のくずは、薄く長く巻いて美しい)その折に、この時とばかり質問してみた「木造建築のこんな大きなものを、出身の異なる大勢の匠の方たちで造る時の極意とは?」すると、西岡棟梁がポツリと独り言のように「木のくせ組むには人を組め」と・・・(合掌)

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-5 TOKIO 2020「日本のたてもの ―自然素材を活かす伝統の技と知恵」の開催について【文化庁】
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/14157255



明智家系図


多羅城は、大垣市上石津多良地区にかつてあったと推察される戦国時代の城館です。関ケ原の戦い以前、この地を所有していた関一政が多羅(良)城を築いたとされ、築城時期は天正年間とも慶長年間とも言われています。

しかし、明智光秀が多良で生誕したとされる史料には、“多羅は進士家の居城”とあるため、関氏以前から多羅城は存在していた可能性があります。慶長5年(1600)、関ケ原の戦いの後、関一政は伊勢国亀山(現亀山市)に移封となり、代わって高木貞利がこの地に転封され旗本となりました。

多羅城の場所等の特定には至っていませんが、推定される場所が複数あります。宮の西高木家陣屋跡や羽ケ原の城ケ平、上多良の城屋敷、松ノ木の城山などが城跡とされる場所で、それぞれの地名に「城」の名が今も残されています。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-4 TOKIO 2020「明智光秀生誕の地 多羅城」特別企画展のご案内 ~ 時は今、天が下知る五月哉 ~
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7453155



名城として名高い明智光秀が築いた福知山城


明智光秀が築いた福知山城と堤防の名残“通称・明智藪”


戦国武将・明智光秀がこの場所に城下町を築く際、暴れ川であった由良川の治水に力を注いだと伝わっており、近年でも過去6年で4回もの水害が発生するなど、多くの水害と戦ってきた歴史がある。

福知山市は、京都府北部・丹波地域に位置する北近畿の交通の要衝である。織田信長の命を受けた戦国武将・明智光秀の「丹波平定」により光秀の領地となり、現在の福知山市への礎となる福知山城と城下町が築かれた。

この他市民の願いにより光秀の魂を祀ることとなった御霊神社、一級河川の由良川や大江山鬼伝説など、豊かな歴史や文化、自然が今も残るまちである。平成18年、三和町・夜久野町・大江町と福知山市が合併した。

(詳細は本文にて・・・)


京都府福知山市内にある、鬼伝説が残る大江山…如何にも鬼の棲家を想像させる・・・


ZIPANG-5 TOKIO 2020 伝説の地・大江山「鬼の博物館」で、没後1000年を記念 鬼退治の英雄・源頼光(よりみつ)の特別展を開催!
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/19515826



関ケ原合戦まつりの様子「東軍」葵の紋所の幟が見える(右端は小早川)


両軍布陣後も前夜からの深い霧で見通しがきかない。薄暗い霧が、これからここで起こる激戦を予知するかのような空気さえ醸し出していた。緊張感の漂う中、無言の睨み合いは続く。霧が少し晴れた午前八時頃、東軍・井伊直政により、決戦の火蓋は切って落とされた。

総勢八万四千の西軍が、必勝の陣形で東軍を迎え撃つ。一方、東軍は七万四千人。

大将・家康は、桃配山に本陣を置き、戦況が不利になると、本隊を激戦地・陣場野まで前進させ、東軍の士気を高める。


人と大地が織りなす「ものがたり」、関ケ原



中山道、北国街道、伊勢街道と、三つの街道が出合う東西の結節点であったこの地には、古くは日本武尊に縁の地であったり、壬申の乱の舞台となるなど、日本史に登場する重要人物たちの物語が多く残されています。また、今須宿は「寝物語の里」の言い伝えが残り、美濃の国と近江の国の旅人が、旅籠で寝ながらに物語を交わしたそうです。壬申の乱の後に置かれた不破関を境に、「関東」「関西」の呼称が使われるようになったとも言われ、関ケ原には、言葉や食など様々な分野で東西文化が混在する姿が見られます。

なかでも、当時の主だった戦国武将が相まみえた「関ケ原合戦」は、一人ひとりの武将の心の葛藤に得も言われぬ物語があります。関ケ原はまさに「戦国(終焉)の聖地」といえるでしょう。

関ケ原の地で、武将たちの「いきざま」や、関ケ原で暮らす人々の営みと出逢うことで、この地を訪れる旅人が、時代の大きな変革期を迎えている今日において、来たる新たな時代を考える機会となるような場所であり、自らの人生の指針を見出す、あるいは自らの人生と重ね合せる場所となるよう、関ケ原古戦場の整備が進められています。


桃配山・徳川家康最初陣跡


二大戦の陣跡 「桃配山」は国道21号線を挟んで中山道の松並木のほぼ向かいにあります。実は「桃配山」は二大戦の陣跡と言われています。家康は関ケ原合戦早朝に、赤坂から桃配山に兵を移動し、桃配山の中腹に陣を敷きました。

この山は、関ケ原合戦以前の壬申の乱にて、勝者である大海人皇子が野上行宮より出陣し陣を敷いたという言い伝えがあります。


                                                関ケ原 家康腰かけ石


家康は縁起を担ぎこの場所に陣を置いたといわれており、関ケ原の合戦時に徳川家康が使用したとされる腰掛石と机石が今も残っています。合戦当日の朝、小雨が降り1m先も見えないほどの濃い霧が立ち込めた関ケ原、この場所に立った家康は果たして勝利を確信していたのでしょうか。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-2 TOKIO 2020~この国の原点の風景が息づく~「関ケ原古戦場グランドデザイン(その1)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5571800



徳川御三家 筆頭 尾張徳川家 鎧兜

尾張徳川家21代目にあたり 徳川美術館館長でもある、徳川義宣氏(以下徳川)を東京・目白にある財団法人徳川黎明会本部に訪ね、江戸時代の大名の美意識などについておたずねしました…本号はその中から特に徳川家康の考えた「わび茶と能」についてご紹介いたします。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-6 TOKIO 2020 尾張徳川家21代当主 徳川義宜氏に聴く!徳川家康の考えた『お茶の作法と演能』とは
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37067472/



徳川家康公像 日本最大級の銅像

現在再開発中の名鉄東岡崎駅北東街区の駅と商業施設を繋ぐペデストリアンデッキ上に徳川家康公の像を設置。2019年11月に公開された日本最大級の騎馬像で、家康公が松平から徳川に改姓した25歳当時の姿をしています。

岡崎の玄関口にできた新しい岡崎の象徴です。お越しの際はぜひご覧ください。


犬山 小島醸造 荵苳酒


『荵苳酒』の歴史と伝統

何と!なんと、その伝統を守ること、今を距ること約四百余年前、時は慶長二年、この『荵苳酒』尾張最古の銘酒なのであります。

二代目小島弥次左エ門創業に依り当代で十四代目となり連綿たる歴史を有しているのです。

元和五年沢菴禅師が犬山に御出の折次の言葉を詠まれました。

本年忍冬とかけるを後の人草甲を加へたりつる 葉かれずして冬を忍ぶ故なり

梅が枝も寒若を経て春にあふためし十年にあらずめでたきものは忍冬酒なり

そこもとにても、めしあげられ、よろしきことに給ひ置きて幾度も盃をあげ申すべきにて候

上の書は今でも尚、小島家に保存されております。

犬山藩主成瀬子爵家所蔵の正徳合帳「献上帳」を見ますと徳川五代将軍綱吉公の代に

「宝永ニ酉年十二月廿四日、稲葉丹後守様へ境沢嘉兵衛罷越し寒中御機嫌御伺いの為の忍冬酒献上仕り候」又「各大名へ寒中御見舞として忍冬酒献上仕り候」

という記事が詳細に掲載されております。

(詳細は本文にて・・・)


荵苳酒の和泉屋「小島醸造」 千本格子に歴史と伝統が刻まれている


ZIPANG-4 TOKIO 2020 徳川家康も好んで飲んだと伝わる 尾張最古の銘酒『荵苳酒』と犬山の見どころ!
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