2018年6月24日(日)『歌舞伎座6月昼の部』妹背山女庭訓、文屋、野晒悟助
歌舞伎座6月昼の部を観た。妹背山女庭訓、文屋、野晒悟助の3本。
妹背山女庭訓、三笠山御殿の舞台。お三輪は、時蔵が演じた。長い舞台で、飽きが来た。お三輪が出てくるまでが、長すぎる。途中、橘姫と采女と、恋仲の二人が出てきたが、采女が松也で美しいのに、橘姫は新伍で。美しさにかけ、残念。新伍は、元が美形ではない役者なので、無理は言えないが、ここは美しい役者を使って欲しいものだ。観客は、役者の美しさを楽しみに見に来ているのだと言う事を忘れてもらっては困る。
主役の時蔵のお三輪が美しい。恋一途に突っ走る若い娘に見える所が、時蔵の芸だ。時蔵は襲名の際も、お美輪を演じていたが、年齢を重ねても、はしっこさが出ていて、可愛く、若い娘らしい、一途に恋に邁進する娘の、純粋さが出ていて、楽しかった。時蔵の芸は格段に上がっている。
三笠山御殿の舞台は、私的には、官女にいいようにいたぶられ、お美輪が虐めぬかれる所が、可愛そうだが、楽しい。最後にお美輪は、理不尽にも、殺されてしまうのだが、徹底的に、虐められる方が、悲劇性が増し、可愛そうだなと思う気味落ちが強くなる。観客のSの度合いが高まる。問題は、官女だ。虐める官女は、女形ではない、脇役の立ち役が演ずるが、今回は、大声で喚き散らすだけで、ねちねち感が足りないと思った。大声で喚けば、虐めていると思うのは、間違いで、単純すぎる。女の意地悪さを、これでもか、これでもかと、ねちねちと出さないと、官女の意地悪さが出ず、お三輪の哀れさ、悲劇性が、強まらない。官女のチームワークの取れたクールな虐めが、ここは欲しいと思った。
采女を求めて御殿に入り、官女のいじめに遭い、いたぶられ、そのあげくに、采女に最後会う事もかなわず、疑着の相の女性の生血が必要だと、訳の分からない理由で殺される。舞台上では、お三輪は采女の役にたったと、喜んで死んでいくと言う設定だが、とても自分の死が役に立ったと思って死んだとは思えない。まるで理不尽な殺されようである。救いようのない死である。采女を思うがゆえに、御殿に上がり込み、虐め抜かれて、最後には、采女に会う事もなく、理不尽に殺されてしまうのだから、私は、一大悲劇だと思う。
次が、菊之助の文屋。私は、踊りは良く分からないが、振りが楽しく、寝る事もなく、楽しんで見られた。見た事がない振りが、随所に出て来て、飽きなかった。菊之助が美しくて、ひょうきんに踊る所もあり、楽しめた。菊之助の貴族姿を見ていると、源氏物語の光の君も十分にできると思った。海老蔵の光源氏以外の、光の君が観たいものだ。
最後は、野晒悟助。はっきり言って、内容のない、どういう事も起こらない、つまらない芝居である。菊五郎の男伊達を見ておしまいである。菊五郎が、舞台に出てきただけで、男伊達に見え、派手な着物姿がカッコいい。恰幅の良さがプラスに作用する。菊五郎は、明るい雰囲気の持ち主だから、こういう役は、ぴたりとはまる。でも中身のない芝居なので、ここまで。最後の殺陣は、菊五郎大活躍で、音羽屋の傘が大活躍。