美を追求する
AIの進化により、意識するしないに関わらず、日常生活を過ごす中でAIの存在や恩恵を感じない日はなくなってきた気がします。
先月参加したシンポジウムでも、ChatGTPが話題に上り、コミュニケーションとは何かを考えさせられる機会になりました。
AIに取って代わられる職業というのも、今後さらに増えてくると思います。それでもなお、人でなければできないことがあり、そのことを忘れてはいけないと思うのです。
その1つが、文化の継承と、その中にある美の追究ではないかと思うのです。
先日、芸術鑑賞に行きました。時間の長さを感じさせないくらい素晴らしく、幕が下りたときには、会場全体の緊迫感が一気に緩んだような、観客の集中力まで感じるような空気を感じました。その時ふと、これが全てロボットによるものだったら、ここまで感動するものだろうかと思いました。完璧な技の披露や、表現演出上、ある程度の情感を込めることはできるだろうけれど、人の心を動かすものは、人の心しかないと思いました。観客が心を揺さぶられる瞬間は、表現者の表情、特に、目線だと思います。私自身、舞台から送られる視線から、目が離せない瞬間が何度もありました。受け手は、送り手の一瞬の視線の動き、一瞬の目の揺れ、それに伴う顔の表情に、言葉にはならない気持ちを汲み取り、感動するのだと思います。
人が文化として受け継いできたものには、芸術だけではなく、様々なものがあります。総じて、文化の究極は美しさを求めることなのではないかと思います。どんなに技術が進化したとしても、人による文化的な活動はなくなってはいけないと思っています。
言葉について言えば、AIによって操られた正しい言葉よりも、多少ずっこけていても、人が話す人間味溢れる言葉の方が、美しいと思うのです。経験に裏打ちされた気持ちや考えの込もった言葉だけが、温かみがあり、人の心を動かすと思うのです。
AIを否定する気はありません。技術を利用することも、時には必要だと思うのです。AIに頼るべきこと、人にしかできないことを使い分け、これからの時代を過ごしていければと思います。