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Crystal Clear Energies

モノへの虐待?

2018.07.01 15:00



なぜ私たちは必要ではないモノを買ってしまうのだろう?



前回もそのことについてみましたが、

今日はさらに深い心の欲をみてみたいと思います。



私たちはモノを通して、

自分の価値を示そうとする。

モノはその手段になっている。



モノを手にいれたいと思う心の裏には、

こんな欲がさらに隠れている。





例えば家。

みんなが羨ましいと感じるような、

広い綺麗な家を買いたい。

そのくらいの経済力があることを示したい。



例えば車。

そのメーカーの、最高ランクの車が欲しい。

そのくらい余裕があるということを示したい。



例えば本。

たくさんたくさんいろんな分野の本を揃える(そして読めていない本も多い)。

誰かが本棚を見た時、

自分はこんなに本を読んでいて勉強家、知識豊富なことを示したい。




例えば服。

たくさんの服を揃えて、自分にはそのくらいの余裕があること、そしてセンスがあることを示したい。

周りから可愛いね、綺麗だねって思われたい。





「誰かにすごいねと思われるために、そのモノを持ちたい」




そんな欲が隠れてないでしょうか。

その「誰か」って誰なんでしょう?

自分でも対して関わりのない、好きでもない人達?

(そしてそのモノが、人になってしまっている場合もあるかもしれない)




その奥にある、本当の欲は、

「自分には価値がある」と感じたい、

そこに集約される気がします。


 


そして残念なことに、

その欲はモノでは埋まらないのです。

20年欲を見つめてきた私の結論(笑)





まるで、外見がいいだけの彼氏みたい。

だって、そのモノの本質を、本当の意味では見ていないし、愛してないんだもの。

(もちろん形から入って本当に愛することもあるだろうけれど笑)

そのモノがどんな過程を経て今自分の手にあるのか、その旅にまで心を寄せたりはしない。




高校生の頃、斎藤一人さんの本の一節を読んで衝撃をうけました。



「すごいと思われたいこと自体がすごくない」



その頃の自分は、モノを通して、または外見を着飾ることで、自分の価値を示し、「モノがある、だから価値がある」と思いこんでいるところがありました。

そしてこの一節を読んで、本当にそうだ、と。

私は誰の気をひこうとしているんだろう?

どうとも思ってもいない人を感心させて、

それが何になるんだろう、と。


それは後にモテ本を書く時にも基本的な価値観となりました。

本当に好きな人に大切に愛されること、

それがモテるということ。

不特定多数の人にモテても、本当に面倒くさいだけ(笑)





そのモノの本質を、見ていますか?

そのモノを、愛してますか?