近代アジアの動乱45-閔妃暗殺事件
2023.06.14 11:26
三国干渉によって日本の影響力が後退すると、朝鮮では1896年7月6日早くも閔妃一族がクーデターを起こして政権を奪還した、この後ろに居たのがロシア公使カール・イヴァノビッチ・ヴェーバーだった。そして閔妃はロシアの力を借りて、日本の影響下にある朝鮮訓練隊などを解散させようとした。
日本としては、日清戦争で取った朝鮮を手放すわけにはいかない。同年10月8日、日本公使三浦 梧楼が中心となって朝鮮王宮に乗り込んで逆クーデターを起こした。その中で閔妃はこの混乱の中で暗殺され、遺体は焼却されるという驚くべき事件となった。大院君は、暗殺が発覚する前に閔妃の身分をはく奪する。
しかし朝鮮内では親日派と抗日派の対立が激しくなり、11月8日には親露クーデターが失敗するが、翌97年2月、閔妃の夫で李朝王である高宗は、ロシア大使館に脱出し、そこで政務を取るという事件が起こる。そしてロシアの後ろ盾で、大院君派が今度は粛清され、ロシアが権力を握った。
露日は高宗を帰還させるために協定を結んだが、ロシアも日本と同数の軍を駐留する権利を得た。高宗は王宮に復帰し、97年10月12日、大韓帝国皇帝を宣言して自主独立の道を模索する。しかし朝鮮をめぐって日露の対立は激化する一方で、ロシアを阻もうとするイギリスら列強の中で、次の戦争への道が始まってゆく