旅か旅行か
ドトールで英語のレッスンをしている女性がいた。 外人の英語の質問に答えるっていう会話のレッスン。毎週やってるみたいだ。 世界一周旅行から帰ってきてどこにも行っていない。 空港で乗り継ぐ飛行機を2時間も3時間も待っているのが好きだった。荷物を枕にして寝てるサナイチ。懐かしい。 「旅」と「旅行」はニュアンスが違うと思っている。 「旅」は、自分を自覚するような、なんかまじめなことだと思う。どこにも行かなくても いろいろ考えれば、それも若干「旅」っぽい気がする。自分のだめな部分に向き合うことを促されそうな「旅」ということばのニュアンスは、すこし暗い。硬派だ。僕は旅という言葉がなんか嫌いだ。 「旅行」という言葉のニュアンスは、どちらかというと前向きで楽しむための印象。逃避っぽくて軟派でいい。 昔、反町隆史のドラマで「ビーチボーイズ」というのがあった。 「働くのをやめて、休憩して、次の人生を導きだす」的な展開だったと思う。 最終回は、「休みはおわり」とばかりに主人公は次の生活を始める。 ぼくのイメージはこれだったのかもな と、あるとき不意に思った。1年間のエスケイプ。 ぼくらの世界一周は夏休みだった。 休みの間、働いていないことの不安、復帰出来るのか?みたいな不安は、少しはあった。でも、異国での毎日を乗り切るのに精一杯だったから、そんな現実的な意識がもたげたのは旅行の中半以降、ようやくヨーロッパや南米あたり。乗り切り生活に慣れたころだった。 それからは、なんか いろいろ考えた。ような気がする。 日本のこと、世界のこと、宗教、しきたり、誇りとか美学とか道徳とか常識とか。 地球のいろいろなところにいろんな考え方の人がいる。そんなあたりまえのことを実感した。そのうえで「僕は何が出来るか、何をするか」なんて考えた。 ぼくはいまインターネット関連会社で働いている。 インターネットは国境を越え、世界をつなぐのに、僕らの仕事は日本で稼ぐローカルな話だ。完全に「ウェブ屋の話」である。 月2回ほどビジネススクール的な研修にも行かせてもらっているが、これも最近飽きた。ぼくには、大金の稼ぎかたとか、競合を打ちのめす施策とか、我が社を立て直す画期的な方法を考える というような気構えが、ほとんどないことに今更ながら気づいた。 ロングサマーバケーションのあとが、こんなにクローズな世界の話に落ち着いているということに最近悶々としている。 これこそ「自分を自覚する行為」=「どこにも行かない旅」である。やはり「旅」という言葉のニュアンスは嫌いである。 ドラマの主人公はあのあとどんな世界に行ったのか。 ドトールで英語のレッスンしていたこれから彼女はこれから何をするんだろう? 「旅は自分探し」なんて言う人もいるが 「自分」なんてものは一生見つからない。「自分探し」なんて言葉は嘘である。 旅や休みのあとにあるのは「生きていかなくてはいけない」という事実だけだ。 熱いな俺。夏バテか。