中央線とコッツウォルズ
今日、仕事で高円寺にある編集制作会社にいってきた。 そのかえりに、ぽんしゅくがカレーやに行こうということで 荻窪のカレー屋に行ってきた。 じつにうまかったのでまた行きたい。 ふと、 「旅行から帰ってきたら中央線のカレー屋とかになるんでしょ。」 と旅行前に村木さんにいわれた言葉を思い出した。 中央線沿線は、放浪人が、旅後に飲食店をひらくメッカであるらしい。なるほど、カレー屋、不思議な多国籍料理やや、こだわりの喫茶店など、実におおい。 しかも手作り感満載である。「しっぽり」「まったり」ゆるめの言葉がぴったりのお店が多い。そういえば、国分寺「ほら貝」もそんな店の一つかもしれん。 ぼくは手作り感満載のこれらの店は、基本的に嫌いである。 虫いそうだし、だれでもできるのに、オリジナイティかなんかしらんが、独りよがりな「こだわり」と、浮き世離れ感は苦手である。「一生懸命働けよ!」と思ってしまう。 放浪かぶれ、自由人気取りで、「資本主義には組しません」みたいな、もっともな理由の「いい加減さ」加減は勘弁である。だから僕は一生「中央線のカレー屋」にはならないとおもう。 でも、こういう店で、妙に安心してしまうのはなぜだろう。慣れればこういう模擬店感もいいのかもなあ。 僕、日曜大工も料理も好きだし、今の自分の部屋をみると、古道具っぽいものがけっこうある。しかも大学は国分寺、おもいっきり中央線だしなあ。同じ穴のむじななのか、郷愁か? なんて矛盾した感受性。今日行ったカレー店も、喫茶店も、モロ、そういう模擬店的な店である。 しゅうしゅう言うストーブの音とか、ゆっくり入れてくれるお茶はなかなかうまかった。特にスコーンがうまかった。 好きでやってるんだろうなあ。 そういえばイギリスのコッツウォルズの村に行ったとき、 こういうお店の元祖みたいな、古めかしい道具類満載の集落がたくさんあった。カフェもホテルも建物もそんなかんじ。 http://hayapon.com/photos/villages/index.htm http://hayapon.air-nifty.com/sekai/2006/02/post_c3fa.html しかしですね、歴史が違うんだよね。200年とかざらだもんなあ。本気でぼろいのです。築30年のボロアパート改装したのとは全然違う。今日の喫茶店で、スコーン食いながら、レイコックで食べた紅茶もマフィンもうまかったなあ なんて思い出した。 模擬店とコッツウォルズ、何が違うのか考えた。 たぶん、古さだけじゃなくて、絶対的な広さが違うんだろうなあ。同じ家具でもでっかいとこにおいてあるだけで全然違う。 貧乏臭く見えるか、清貧に見えるか。その違いかもなあ。 古道具のいい味は大切に、ボロに見えないようなセンスでありたい。なんてことを考えた。冗長にて。