日出る処 2018.07.01 11:34 「紀元2世紀後半の世界地地図」【こんな話】 紀元2世紀って中国大陸では「前漢」まで行っていて、輝くような文化が花咲いていた頃、日本では大陸から弥生人とともに稲作が入って来たころで、やっと縄文時代の長い眠り覚めて寝ぼけ眼をこすっている頃だ。そして、その「漢」から文字を輸入し、仏教、木草学、美術などなど……つまり世界的規模の「文明」が流れ込み始めた頃である。司馬遼太郎が『韓のくに紀行』のなかで、韓国の田舎を旅しながら、特筆するような違和感はない。韓国も日本もつまりは「中華文明」のもとで「一衣帯水」なのだ。違うとすれば「地政的」なことだけが色合いを変化させている……とつぶやいている。 そして、彼は「文明」と「文化」について語っている。 「文明」は「だれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」を指すのに対し、「文化」は「むしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。」と。 日本はその特殊な「文化」を作ったのだろうが、他の民族をも巻き込んでいく「文明」を作ったことがない。その悲哀というのはいつも持っていると感じる。いやむしろ、「中華文明」という巨大な磁力源がなければその普遍的ではない「文化」さえも作ることは怪しかったと思う。 「遡って考えてみると、日本という国は、基本的な文明はすべて輸入品に頼って生きてきた国だ。1000年マネすることで国家をやってきた」と日本語の碩学大野晋をしてまで言わしめる民族だし国家な訳だ。中華、欧州そしてアメリカからのひたすらの文明輸入国が日本なのである。その中華文明も18世紀にヨーロッパの列強に蚕食されてボロボロになりかけた。日本までもが、その蚕食競争におっとり刀で駆け参じた。 でも、見よ。最近の中国を。 「リバイタリゼーション」という言葉を彷彿とさせる。日本人から見れば、体制や人権については気に染まないところ多々あるが、それは彼らの選択である。 瞠目するべきは、古代4大文明のなかで衰えて再び「甦る」のは「黄河文明」(中華文明)だけだということだ。 聖徳太子は「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙きや」というものを遣隋使に託して、隋の天子を怒らせた。とんでもない。その昔もそうだったが、今また中国が「日出る処の天子」なのである。日本はどう折り合いをつけていくの?