【ブログ】退団インタビュー :マレ・サウ[CTB]
退団インタビュー
マレ・サウ[CTB]
NEW CHAPTER.
「突破者」がトヨタでの5シーズンを終えた。前所属のヤマハ発動機ジュビロ(現静岡ブルーレヴズ)では10シーズン。計15シーズン、日本ラグビーのトップシーンを駆けぬけたCTBは今、所属チームはなし。ゆったりとした時間を過ごし、次へのステップを踏み出そうとしている。
「シーズンが終わってからは家の片付けと、身体のリハビリに充てています。日本で15年も暮らしていたので片付けが大変。同時に、これまでと違う生活がフレッシュで楽しいと感じています」
2シーズン前まで不動の位置を占めたCTB。だが今季はポジション争いの層が厚くなり、出場は限られた。リーグワンでプレーしたのは横浜イーグルス戦の前半40分のみ。活躍の場は主にミライマッチだった。
「今シーズンは非常に難しいシーズンでした。自分のコンディションに問題はありません。メンバーに選ばれるために、ハードにトレーニングしないといけない状況でした。今シーズンはトヨタがいろんなスタイルでプレーしていたので、その中でベストを尽くした。自分に出来ることはトレーニングを継続してチャンスを待つことですから」
ミライマッチでも、僅かな隙を逃さず前に出る勝気なプレーは健在。選手として幕を引いたわけではない。
「現時点では二つ選択肢があります。
オファーがあれば、日本でもう1~2シーズン、プレーしたい。それが無理ならオークランドに戻って、人生の新しいチャプターを始めたいと思っています」
日本にプレーの場を求めたのは20歳の時だ。家族と一緒に海を渡った。だが人生の針路は、日本行きの搭乗券を手にしたときとは違う方向に進んだ。
「当時は1年か2年、日本でプレーしたらNZに戻ってスーパーラグビーでプレーしようと思っていました。それはNZでラグビーをプレーする男の子が誰でも憧れる夢です。けれども日本での経験が予想以上に素晴らしかった。それは人生を変える価値がありました。自分にとって一番大切なのは家族。家族が日本の生活が良ければそれでいい、と思ってこれまでやってきました」
ジュビロで10シーズン所属した後、トヨタに移籍する。
「当時、私がチームを移ったのは金銭的な理由だと言われましたが、それは違う。自分自身のチャレンジでした。10年間、同じチームに在籍して、同じことを繰り返していたので、違う環境、違う文化、違う人と出会いたいと思ったのです。今でも、その選択は正解で、トヨタで5シーズンプレーできたことに感謝しています」
マレ・サウを語るとき、忘れてはならないのは2015年のワールドカップだろう。日本代表が南アフリカを34-32で破った「ブライトンの奇跡」で、立川理道とCTBでコンビを組んで出場。日本ラグビーの歴史を変えた一人でもある。
「ジャパンに選ばれたことは、自分のラグビー人生でもトップの出来事です。そしてW杯のメンバーに入れたこと、ああいった結果が出たこと。忘れられない思い出です。
大会までの4年間は、大変な日々でしたが、ハードワークは結果となって戻ってくるのだと実感できました。エディーのトレーニングも大変でしたが。全員がエディーのマインドに沿って信念を持ってプレーしていた」
コンビを組んだ立川はS東京ベイ主将として、今季、チームを初の日本一に導いた。
「ハル(立川)は大学を卒業してすぐにジャパンになって、多くの試合で共にプレーしました。トップリーグで何度も対戦したことがあります。今回彼がチームを優勝に導いたことは嬉しいし、その努力には敬意を表します。一方で私は彼との競走に負けた、という思いもあります」
プレーヤーとしての悔しさも垣間見せた。
オークランドに戻った後は、様々なプランを描いている。
「現在はNZで友人たちとメカニックショップを経営しています。正式に戻ることになったら、ビジネスも勉強したい。コーチになることも考えています。ラグビーのように、また百㌫夢中になれるものを探したい。でも、もう少しプレーできる自信を持っているので、日本のチームからオファーを待っている状況です」
2015年W杯の日本対南ア戦は、リピート放送されるたびに新たなファンを生んでいる。いまいちど、あの突貫プレーを日本で見たいファンは多い。本人の描く「ニューチャプター」は、その後でも遅くない。
(写真説明)
2月に行われたミライマッチ、RH大阪戦に出場