ロマン派以後7-クララとブラームス死す
2023.06.16 11:12
70歳を過ぎたクララ・シューマンに最期の時が迫っていた。1891年3月12日を最後に彼女は演奏会を止めた。そしてブラームスと共に、亡き夫シューマンの全作品を発表した。この収入はどんどん増え、年間1500フランになった。シューマンがいろんなところで演奏されているのに妻は喜ぶ。
1895年10月、不意にブラームスがやってきて彼女にピアノを弾いてくれとせがんだ。実にクララはブラームスのためだけに弾いたのだ。そんなことは何時以来だろう?ブラームスは上機嫌で帰っていったが、それが二人の会った最後となった。娘はブラームスに、クララがそう長くないと手紙に書く。
96年5月20日、クララ・シューマンは息を引き取った。ブラームスは危篤の報を受けて慌てて列車に飛び乗った。が、それはウィーン行きの列車であり、遠回りになってボンの夫シューマンの墓に棺を入れる直前にようやく間に合った。まったくこの2人の関係を象徴するかのような出来事だった。
ブラームスはこの後ルター版聖書の詩による「4つの厳粛な歌」を作曲した。第3曲は「死よ汝はなんと痛ましいものか」というタイトルがつけられ、終曲の最後の節に「愛こそが一番尊い」と書かれている。彼はクララの死から1年後に世を去った。