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桃原さんの伝言葉

2023.06.18 03:21

お疲れ様でございます。

今は亡き桃原チーガさんとの会話で印象に残っているエピソードを思い出したのでここに記します。


その当時(終戦後)は三線屋は棹、皮張、チーガ、カラクイ、糸掛、ティーガー、塗の一才をその店舗で仕上げるのが一般的であった。

若き頃の桃原さんは工作が好きであったので、近所の三線屋を訪ねて、作りを見たりして見学していた。

ある時、三線屋の主人が「君はチーガを作ってみては?」と提案があった。そこでチーガを作ってみようと思ったが、もちろん作り方を見せてくれるわけでもなく、教えてくれることもなかった。そもそも、作り方を尋ねるのも失礼と思い気が引けていたからだ。

仕事中や暇がある時に、桃原さんはずっと「チーガはどうやって作るのだろう」と頭で思案していた。

チーガを譲ってくださいと言いたくても、単品で売ってくれるような時代ではなかった。そもそも、それを買うほどのお金もなかった。

だから桃原さんは頭で考え続けるしかなかったのだった。


そんな日が続いたある日のこと。

桃原さんはその日もチーガの制作方法のことで考えながら散歩していた。外の天候はどしゃぶりの豪雨だった。

近所の坂道を登っていると、たまった雨が側溝に激しくながれていた。その時、奇跡が起きた。


なんと、雨の流れに乗って、一個の古いチーガが流れてきたのだった。


どんぶらこ どんぶらこ


桃原さんは目を疑った。まさか。

すかさず手に取ると、やはり、三線のチーガであった。

桃原さんはこれを拾って持ち帰ると、その古いチーガの作りを見習って、自身のチーガを作ることになったのであった。


その後、三線チーガ職人として活躍するのであった。


これはおとぎ話でもなく、冗談でもなく、実際に桃原さんから聞かせていただいたエピソードである。


−求めよ さらば与えられる−


のであった。



三線製作や経営を始めたが、なかなかうまく行かないというお声をいくつかお聞きします。

しかし、自分なりの道が必ずあると思います。

もしも貴方様が楽典に詳しいのであれば、四弦を開発して、そして演奏して広められてはいかがですか。(実は琉球時代に四線もあったのですから)

沖縄県出身者 内地出身者 外国人の方は問わないと思います。豊見城の吉川さんたちも頑張られているではありませんか。

オリジナルで進んでいく道もあると思いますし、伝統を重視して、そこから発展することもできると思います。

求めましょう。そして楽しみましょう。

桃原さんのように諦めず、もとに進もうではありませんか。

私は私なりの求める美があります。

納得いくものをご紹介して楽しんでいただけることが、楽しくて仕方がありません。