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在宅医の覚悟

2023.06.18 07:24

Facebook東郷 清児·さん投稿記事

〜(世紀の?)大発見と、発信の必要性 〜”在宅生活における医療“

知人が、このテーマで討論会を開こうと準備してたところ、「在宅医療の問題点を話し合う以前に、一般市民のみならず、福祉や介護、はたまた医療の専門家でさえも、“『在宅医療』そのものをよく知らない“ という、そもそもの、根本的で重大な問題を発見した」

と、そのように言ってました。

で、まずは「正しい情報発信から」という結論に行き着いたそうで、、。

かくいう私も、在宅医療についての発信のため、来月、長時間のインタビューを受けることになり、前もってのインタビューシートを提出せよとのこと。

そこで、ひとつめの質問『仕事の内容/独自性、大切にしている事について』に対する私の考えをまとめてみました。

<在宅医療の特徴 >

①24時間365日体制

計画的な定期訪問に加えて、24時間365日いつでも連絡を受けつけて、依頼があれば往診します。

病気で自宅療養している方にとって、医療といつでも繋がれることが安心の第一歩だからです。

②専門性を超える

現代の細分化された医療界において、専門医としてのスキルを身につけた医者であっても、在宅主治医となれば、さまざまな病気に対応しなくてはなりません。したがって、在宅医には広い医療知識が必要になります。

ただし、医療的な対応が自分一人では困難と判断したら、抱え込むことはせず、すぐさま他の医師に相談しますし、必要な時には専門医にコンサルトします。場合によっては、入院という選択肢も出てきます。

③地域連携

病院であれば、病院の中に医師、看護師、薬剤師、介護士、栄養士など多くの職種がチームを作ります。

在宅医療では、病院だけでなく、他の組織の異なる職種と地域でチームを作ります。

在宅医療は、内向きに密かに行われるものではなく、チームの中では限りなくオープンでなくてはなりません。

④生活を支える

病院では、患者さんは病気を治すために病院の文化に自分を合わせる必要があります。

在宅では、ご家庭の文化に医療者が合わせます。

その人が生活している空間や時間、価値観を大切に考えるからです。

⑤家族を支える

在宅医療では、患者さんだけではなくご家族も支える必要があります。

介護者である場合、遺族になりつつあるとき、死別後の悲しみに打ちひしがれているとき、いずれの場面でも、ご家族は周囲の支えが必要です。

⑥死に向き合う

日本人の6割以上が自宅で最後を迎えたいと考えています。

在宅療養に携わる者は、生活の延長線上にある死に向き合い、最後まで「いのち」に寄り添います。

在宅医療における「死」は、敗北ではありません。

在宅医療では、病院等で展開されるようなエビデンスやデータに基づいた画一的な医療が最善とは限りません。よって、患者さんの心身のバランスへの配慮をもって、臨機応変に、しなやかな医療が提供できるように心がけています。

こんなんで、ちょっとは発信になるかなぁ、、


Facebook東郷 清児さん投稿記事  ◎在宅医の覚悟

「過労死覚悟しなきゃ、こんな仕事できないよね」

今から20年ほど前、在宅医療を専門とする医師仲間のひとりが、懇親会の席でポツリと言った。

その頃の私は、死にたいなどとは微塵も思っていませんでしたが、“とても50歳までは生きられないだろうなぁ” と感じながら働いていました。

インタビュー用アンケート(その4)

Q:あなたにとって覚悟とは(人生で最も覚悟したと思うエピソード、覚悟した事で得たもの)※250〜300字推奨

A:

現在、在宅医療は地域の多職種のネットワークの中で展開され、他の診療所や訪問看護ステーションとの連携、最近では夜間や休日の診療のサポートをしてくれる組織の参入もあって、ひとりの医師への過度の負担は無くなりました。

私が在宅医への道を決めたときには、介護保険の「か」の字もない時代でしたから、

『24時間365日、患者さんの在宅生活を自分ひとりで支える』

それが私の覚悟。

そんなわけで私は、専門の神経内科以外の医学を現場で積極的に学び、様々なタイプの老人施設や保健所でも働き、在宅では、看護、介護、リハビリ、相談などの業務もこなしました。

やがて私は、在宅医療は医療だけでは成り立たないことを確信するに至りました。

(301文字)

その昔、私の日常はこんな感じでした。

仕事が終わって、夕食の途中で往診呼び出し。その日の真夜中にまた他の患者さんから呼ばれ、フラフラで帰宅して着替えることもできずバタンキュー。すると明け方また違う患者さんから緊急コール、なんてことも。そんな一日を過ごしても、翌日はまた同じように働きました。土日祭日も往診対応していましたから、当時の私は、言うなれば、閉店時間のない年中無休のコンビニドクターでした。

緊急往診依頼が三件同時にあったとき、緊急性の最も高い方に電話で対応していると、他の患者さんのご家族から「いつまで待たせるんだ!」とクレームが入ったり、、。

あ、思い出した!

在宅医療を始めたばかりの頃のこと。かかってきた往診依頼の電話に「車ですぐに向かいます。踏切もありますので、20分くらいかかると思います」と答えたところ、コワモテのご主人、「ふざけんな!家内は苦しんでるんだ、3分以内に来い!!」

1980年代から、知識人の間では在宅医療の必要性が声高に叫ばれるようになっていましたが、在宅医療はなかなか普及しませんでした。なぜ在宅医療をためらうかという医師向けのアンケートで、「24時間365日の対応は無理」が75.3%に上りました。

2000年に介護保険が創設されましたが、制度がある程度まで社会に定着するのに10年以上はかかった感が私にはあります。

ですから、それまでの私は、往診して浣腸や摘便は当たり前。夜中に転んだとあれば行って抱き起こし、尿でびしょ濡れと言われれば駆けつけて着替えや清拭もしました。患者さんを車椅子に乗せて散歩に行ったり、自宅での歩行訓練も行いました。高齢のご家族の代わりに、薬局に薬を取りに行ったり、買い物の手伝いをしたこともあります。患者さんから困り事を相談されれば、病院、施設、市役所と、どこでも出向いたものです。

このように、色々な角度から患者さんに接し続けたことで、私は、在宅療養を支援する社会システムの全体像と、そこに内在する問題が、少しずつではありますが把握できるようになっていきました。

オン・オフの切り換えなく延々と続く24時間365日。。。

私のこんな生活は結局28年間続きました。1日3人の新患依頼があっても断らず、私ひとりの受け持ちが160名を超えてしまった頃、電話越しに名乗られても患者さんの顔が全く浮かばずに、話を合わせるのが大変だったことを思い出します。

と、ここまでは過去の話。

当院の優秀なスタッフたち(自画自賛^^)が頑張ってくれて、夜間・休日の当直体制も整い、「ゆとり」という名の幸せの鳥(?)を手にした今の私の覚悟は、

『超高齢社会がより豊かなものになるように、在宅医療の本質とその素晴らしさを広く伝えていく。そのために100歳まで生きる!』と相成りました。