愛と哀しみの傑作(マスターピース)「ドン・キホーテ」
マリウス・プティパ
「ドン・キホーテ」
1818年、クラシックバレエの父と呼ばれるマリウス・プティパは、フランスのマルセイユで振付師兼ダンサーの父と女優の母との間に生まれました。その後一家はベルギーのブリュッセルで12年間過ごしますが、ベルギー革命の影響でフランス、アメリカなどを点々とします。
1843年、プティパに転機が訪れます。スペインのマドリッドの王立劇場に招かれたのです。ここでプティパは経済的にも芸術的にも充足を得ます。休暇の間も休むことなく、仲間たちと地方を巡業し、フランス人ダンサーによるフラメンコは人々を熱狂させました。
当時、王立劇場のボックス席を年間予約している貴婦人と若く美しい娘がいました。そして、運命にいざなわれ、プティパとその娘は恋に落ちます。公演の後、彼女の部屋のバルコニーにスカーフがかかっていなければ、それが中に入っていい合図でした。ある夜プティパはいつものようにスカーフを確認し壁を登り始めます。その時でした。暗闇の中、背後から突然、一人の男が襲ってきたのです。男はフランス大使の秘書官リオネル・ド・シャブリヤン侯爵。彼は娘の母親の恋人で、プティパを恋敵と勘違いしたのでした。プティパは彼の卑怯な行いを非難し、二人は決闘することとなります。
結果はプティパの銃弾が公爵の下あごの骨を砕き勝利となります。噂はすぐに街中に広がり、翌日の切符はすぐに売り切れの大盛況。しかし、これがもとでプティパはスペインを去らねばならなくなります。
1847年フランスに戻っていたプティパにロシアのサンクトペテルブルクのボリショイ劇場からの誘いが届きます。1869年、プティパは同劇場の首席バレエ・マスター*に就任。同年、愛するスペインの民俗舞踊を取り入れた「ドン・キホーテ」を発表します。この時からプティパの、そしてクラシック・バレエの黄金時代が始まるのです。
*バレエ・マスター:バレエ団で演目の上演の責任をもち,新しい作品の振付も行う舞踊監督。
マリウス・プティパ Marius Petipa(1818〜1910)
帝政ロシアで活躍したフランス人バレエ・ダンサー兼振付師、舞台監督。代表作は「ラ・バヤデール」、「眠れる森の美女」、「ライモンダ」など。
イラスト:遠藤裕喜奈